鳴門海峡の一角に来ています。
遥かなる徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」。
来ることは恐らくないだろうと思っていました。
今回のツアーに、この美術館が入っていたことも、
参加を申し込んだ理由の一つでした。
去年の大晦日、NHK紅白歌合戦で、
シンガーソングライター米津玄師の歌が中継された舞台、
システィーナ礼拝堂天井画が完全再現された巨大ホールが、
正面玄関から長いエスカレーターを上り詰めた先にありました。
紅白歌合戦のテレビで見た圧巻の巨大壁画です。
ミケランジェロによって描かれた「最後の審判」
「システィーナ・ホール」が眼前に広がっていた。
山を切り拓いて造られた大塚国際美術館。
正面玄関は地下3階に当たる。地上部分は2階。
5階構造の建築を再び埋め直して山に戻したのだという。
世界の名画1000点余りの陶板名画が展示され、
「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ゲルニカ」など、
世界の名画がオリジナル状態の姿で見ることができる。
「最後の晩餐」の修復前と修復後の両方が見られるのはここだけだそうです。
特殊技術によって陶器の板に原寸で焼き付け、
原画作品を忠実な色彩で複製再現されているという。
鑑賞ルートすべてを回ると、
地下3Fから地上2Fまで約4kmになるという。
美術館滞在時間4時間余り。
見学順路がフロアーに明示されていますが、
パーティションが多岐に渡り、
途中から戻ったりして順路が迷路になってしまった。
後になってみるとガイドブックの、
モデルコースに従うのが手っ取り早いと思った。
私としては、来日し鑑賞した有名絵画で、
東京の美術館で生で本物を見た作品を中心に、
勝手に観て回ったので疲れ果てました。
モネのコーナーでは「睡蓮の池」が作られていて、
周辺がカフェテラスになっていて休憩しました。
回廊に休暇村大阪センターの添乗員さんもひとり、
ティータイムを兼ねスケジュールの確認をしていました。
絵になる光景で写真も撮らせていただきましたが、
掲載はしません。
大塚製薬グループが創業75周年事業として、
1998年(平成10年)に開館した美術館で、
西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し、
展示する陶板名画美術館である。
それにしても「ボンカレー」の大塚製薬グループは、
凄いことをやったもんだなーー。
美術館の近くには、
「鳴門の渦潮」観潮船乗り場もあるようで、
潮目の時刻表も出ていました。
その渦潮の上に架かる「大鳴門橋」を渡り、
最終宿泊になる休暇村南淡路に到着しました。
遥かなる徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」。
来ることは恐らくないだろうと思っていました。
今回のツアーに、この美術館が入っていたことも、
参加を申し込んだ理由の一つでした。
去年の大晦日、NHK紅白歌合戦で、
シンガーソングライター米津玄師の歌が中継された舞台、
システィーナ礼拝堂天井画が完全再現された巨大ホールが、
正面玄関から長いエスカレーターを上り詰めた先にありました。
紅白歌合戦のテレビで見た圧巻の巨大壁画です。
ミケランジェロによって描かれた「最後の審判」
「システィーナ・ホール」が眼前に広がっていた。
山を切り拓いて造られた大塚国際美術館。
正面玄関は地下3階に当たる。地上部分は2階。
5階構造の建築を再び埋め直して山に戻したのだという。
世界の名画1000点余りの陶板名画が展示され、
「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ゲルニカ」など、
世界の名画がオリジナル状態の姿で見ることができる。
「最後の晩餐」の修復前と修復後の両方が見られるのはここだけだそうです。
特殊技術によって陶器の板に原寸で焼き付け、
原画作品を忠実な色彩で複製再現されているという。
鑑賞ルートすべてを回ると、
地下3Fから地上2Fまで約4kmになるという。
美術館滞在時間4時間余り。
見学順路がフロアーに明示されていますが、
パーティションが多岐に渡り、
途中から戻ったりして順路が迷路になってしまった。
後になってみるとガイドブックの、
モデルコースに従うのが手っ取り早いと思った。
私としては、来日し鑑賞した有名絵画で、
東京の美術館で生で本物を見た作品を中心に、
勝手に観て回ったので疲れ果てました。
モネのコーナーでは「睡蓮の池」が作られていて、
周辺がカフェテラスになっていて休憩しました。
回廊に休暇村大阪センターの添乗員さんもひとり、
ティータイムを兼ねスケジュールの確認をしていました。
絵になる光景で写真も撮らせていただきましたが、
掲載はしません。
大塚製薬グループが創業75周年事業として、
1998年(平成10年)に開館した美術館で、
西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し、
展示する陶板名画美術館である。
それにしても「ボンカレー」の大塚製薬グループは、
凄いことをやったもんだなーー。
美術館の近くには、
「鳴門の渦潮」観潮船乗り場もあるようで、
潮目の時刻表も出ていました。
その渦潮の上に架かる「大鳴門橋」を渡り、
最終宿泊になる休暇村南淡路に到着しました。