私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色についての考察

2019年10月20日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」について考察します。
色受想行識は五蘊のことです。五蘊不異空、空不異五蘊、五蘊即是空、空即是五蘊ということです。
五蘊とは、世界内の物質や現象~自分を構成する要素の全てであり、この世に存在する全てのことです。

この世の一切は空に異ならず、空はこの世の一切に異ならず、この世の一切は即空であり、空は即この世の一切である。
「即」の部分は、「すなわち」と考えるよりも表裏一体という意味合いで、そのまま「即」で使用しました。

「この世の一切が空に異ならず、空はこの世の一切に異ならず」この意味は、よく見かける原子の説明の図で分かります。
人間>細胞>DNA>塩基>原子>原子核>クォーク、電子の図です。
大きさを一切持たない点粒子であるクォークや電子などの厳密な理解には自信はありませんが、物質的存在の究極の構成単位の相で見ると無次元の点になるということです。私は、無次元の点を空としています。無次元の点の三次元パターンが物質としての存在になります。

この世の構成要素自体が空ということです。この世の構成要素を無次元の点とみる階層を空相とします。

空相においては、無次元の点の関係性のみ存在するだけなので、不生不滅、不垢不浄、不増不減となります。
人間を存在の究極の単位で見ると、無次元の点しか存在しないということです。物理的実体として生じていません。
無次元の点の関係性が方程式に従って存在するだけなので、物理的存在として別の時空に取り出すことはできない構造になります。

「この世の一切は即空である、空は即この世の一切である」この意味は、波の性質を考えると分かります。
波は、高さが伝播しているだけで、波自体が移動しているわけではありません。ある波形があったとき、その真逆の波形を衝突すれば波は潜在し何も存在しません。しかし、波は、独立性があり保存されるので通り過ぎると元の波形が現れます。
波が潜在し何も存在しない一瞬とこの世の一切が潜在し何も存在しない刹那は、同じ構造です。
この世の一切が潜在し、何も存在しない静止した無限の空間とは無次元の点と同等です。つまり、この世の一切は無次元の点である空に潜在します。

この世の構成要素が無次元の点に潜在した状態を空中とします。

空中において、関係性が消え、全てが無になるので、「無色 無受想行識」と表されます。
一切が無に潜在し、静止する状態が涅槃です。縁起縁滅の法がオカルトではないと確信します。この世の一切は法に従って展開するだけであって、決定論で存在し、自由意志は存在し得ない。無次元の点に「ある」「ない」という表現はふさわしくありませんが、無次元の点さえあれば、縁起縁滅の法、つまり、万物の方程式に従って今ある世界がそっくりそのまま展開します。空から一切が即存在し、一切は即空に潜在するということは、存在する「今」は、今、全て存在すると考えることもできる構造になります。
空→世界→空、今、世界は存在したてのような感覚です。そして、即、滅する。世界内の展開の中にも空に滅する地点が存在し、そこを涅槃としています。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます


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