読書の森

斎藤美奈子『戦下のレシピ』



昭和史を辿る読書、今回は戦争中のレシピを調べました。

戦争中と言えば、モノ不足、食糧不足が知られていますが、輸入がまだ可能な戦争当初はそれほど深刻ではなかったようです。




そのため、戦争当初の婦人雑誌は勇ましく、軍艦サラダとか、飛行機メンチボールなど後から考えたら贅沢なメニューをグラビアに出していました。




しかし、当初から日本は慢性的な米不足に陥って、外米(当時の植民地からも)に頼っていたのです。

今のように進歩した稲作農法ではないし、その頃凶作が続いたためでもあります。
それよりも、一番大きな理由は当時の米の消費量が圧倒的に多かった事です。

昭和15年、一人当たりのお米の消費量たるや、一日三合半だそうです。
今、小さな電気釜では3合しか炊けません。
私など一日1合食べれるかどうかというところです。
それだけ、副食が少なくお米のご飯ばかりだったのですね。

当時はまず、「節米」を政府が呼びかけたのでした。

餅米も不足、砂糖も不足の中で、甘みのある里芋を潰して中身にしたオハギが雑誌で紹介されました。

その他、主婦の知恵を絞った節約料理のアイデアが当時続出してます。
私も挑戦したくなるほど面白そうな料理がありますので、又紹介したいです。




ただ資源に乏しいと、アイデアや節約では全然通用しなくなるほどの食糧不足になります。

そこで、お野菜替わりに食べられる野草を取って料理して食べたそうです。

日本タンポポの花も葉も食べられるそうです。

昔、春の初め頃、崖の傍を歩いていたら、近所のおばさんが崖に生えてる草を取って私に分けてくれました。
お浸しにすると美味しいそうです。
半信半疑で食べたら柔らかくて美味しいのです。

その崖もコンクリートで固められてしまったけど、昔の人は食べられる物を見分ける本能が発達していたのだと思います。




さて、話は変わって、2014年ゆうちょ銀行で定期を申し込んだら、おみやげを貰えました。
それが、上の調理容器です。
簡単なレシピ付きでした。




冷蔵庫に保存中の小麦粉は賞味期限が25日までです。
これを使って、クリスマスより一足お先に蒸しケーキをレシピ通りに作りました。

小麦粉120g、 ベーキングパダー、
砂糖80g、卵1個、牛乳🥛
を混ぜて、容器に入れて、レンジで約3分。

中身に干しレーズンを加えたら、美味しくできました。

その他色々楽しめるこの料理器具、昔のゆうちょはもっと気前が良かったのです。
口座を開設したら💐を貰えました!


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