田辺聖子のエッセイはホントにほっとする。
この『楽老抄』も文字通り気楽に読める一冊である。
執筆当時60代後半だろうか、語り口の良さに、こちらの肩の力も抜けて生きづらさが読んでる間だけでも忘れられる。
本著の「新春断想」を読んで田辺聖子の人となりがとても理解できた。
小学生の頃、ドッチボールで当てる事は全く出来なかったが、ボールを持つ子の性格を見分けて当てられないように逃げるのが上手かったという。
あまり知られていないが、田辺聖子は脚が悪いのだ。
作品の中でも対談の中でも全くその事実を明らかにしていないのは見事だと思う。
彼女は自身をこう語っている。
「はしっこいかと思うと、世間知らずで間抜けだ、私はこれでもって小説を書いている」
つまり、世間の何たるかを知りたいために、恋愛の何たるかを知りたいために、小説を書くのだという。
知っていたら書かなかっただろうと大胆な告白もする。
ここからは想像だが、ある程度世間で生きる道が狭められた時、彼女にとって書く事が一番楽しかったのではないか。
そして自身で言うように「虚仮の一念で書き続けた」のだろう。
それにしても、文化勲章を取るに至る虚仮の一念とは物凄いものだ。
それを本人は「努力した」とか「しんどかった」とか言わないのがもっと凄い。
さて、新春断想という題と裏腹に死に時について、ここで書かれている。
「いつ死んでもいいと云うところまではきた」
これは77歳で他界した川柳家、麻生路郎の作である。
おそらく、70代に入ってから作ったのだろう。
この句を他人事ではないと田辺聖子は思う。
ゴールが見えてほっとするとも、何とも気楽そうである。
そして、「私はシューと消える、というのが好きで一つ一つ浮世の仕事を減らしていく」そうである。
「花火のようにパッと消えるのはよろしくない、人魂のシッポ型が望ましい」
なんて最後まで聖子さんらしい。
周りにいる人の事を考えているからで、パッと死なれると困る人が出る立場をご存じである。
私なぞシューと萎むのは惨めだと思ってしまい、未だ全然修行が出来ていない。
田辺聖子さんは、先月6日91歳で大往生された。
まさに、自身で言った通りの最期だった。
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