読書の森

虹を見た時期



もう直ぐクリスマス、そして新しい年が来ます。
毎年、花を買い、料理を工夫して張りを持って迎えた時期も、母の居ない今はただ過ぎていくのを待つだけの気持ちになっています。

災害の多かった今年を離れて、来たる年に希望を持って、新しい明日を迎えたい。
ともすれば倒れそうになる身体を立て直し、大きな流れにのって行きたいです。

私この10年間程、綺麗で大きな虹の橋を歩く気分になっていたのです。
きっかけの一番大きなものは、歯止めをかけるべき所が上手く機能しなかった事だと思えます。それ以上は説明出来ません。

ただ、この時期私はとてもアクティブになれました。
母の世話の合間に自由に出かけて、見る物は美しく、食べる物は美味しかったのです。
いつかは幸せを得られるのだという希望が有りました。
ずいぶんいい気なものです。

現実には、無理せずに受け身で処理する事が出来ず、自らの財産を失くしていったのです。
母の死と共に圧倒的な現実が、その橋を潰しました。

それ以前に、私の中の思い出や空想や歴史や読書の記憶が、溢れる程自分の中に満ちて、ブログ記事になってくれたのです。
ひどくスッキリした爽快な気分でした。

ところがこの時、母の介護が最も辛い時期だったのです。
エネルギーが過剰な躁の反動となった様です。
多分、最後まで夢見がちだった母と共にいる事で、私は夢を見る事が出来たのでしょう。
それがブログ記事を書かせてくれたのだと思います。




虹の橋が消えて、実際の自分の立場が露わになって、重い錨が自分の胸に打ち込まれていました。
言うなれば鬱に襲われたのですね。

世の中全体とても生きにくくなってます。
だからと言って、「死」についてばかりブログ記事で取り上げていると、一直線に死に向かいそうです。


今は消えてしまいましたが、確かに昔虹はかかっていたのです。
自分のキラキラした時期を否定するより、そのまま心の隅に残しておこうと思います。


その上で、又馴染んだブログ記事が続けられたら幸せです。

^_^
2018年に書いたブログを再度載せます。
ご参照いただければ幸いです。

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