秋の北鎌倉 円覚寺
いまお預かりしている生徒さんたちはみな小学校高学年のお子さんばかり。昨年の春に塾を閉める案内をして、今春最後の受験生を送り出して、少しできた余裕にたまたま来てくれることになった子たちです。オンラインの生徒さんがひとり。
さて。表題の子育て回想録です。
小学校の高学年の時期。私は三人の子育てをしてるわけですから、母としてもそれぞれ三回。この時期を過ごしてきたわけですし。あるいは、生徒さんたちを加えればたくさんの、この時期を見守ってきました。
毎年、保護者さんたちにはお伝えてしてます。
高学年。特に6年生の子どもたちは大変ですよ。高学年の責任と目覚め始めた思春期のバランス。あるいは、国立私立の中学受験の受験勉強のストレスや学者塾でのパワーバランス。あるいは、公立に進学する子たちにも容赦なく押し寄せる、伺い知れない受験への興味と疎外感と巻き込まれることの煩わしさ。
たまにこれらをものともしない子達もたくさん見てきました。拍子抜けするほどに、かろやかに自分のスタイルを生きていて、もはやその清々しさに教えをこいたいくらい。
つまりは、悲喜交交のストーリーの渦中でそれぞれの少年少女の時期ににフィニッシュを飾ろうとしていることに間違いありません。いま思えば、本当に大切で貴重な時間で、それゆえに、時に子育てに迷うことも多かろうと思います。
私もその迷い人のひとりでした。子どもが三人いれば三人分迷いました。いま振り返り声をかけてあげるとしたら、書きながらなんと声をかけるか、考えてみました。
少し前なら
「大丈夫。悩まなくても。
なんとかなるよ」
と声をかけてあげたかもしれません。
ところが、今日の境地は別のところにありました。
〜なにも声をかけない〜
自由に悩ませてあげようと思うのです。その迷ったり悩んだりしていることもまた、とても大切で必要なような気がするからかもしれません。
悩まないでなんて、もはや勿体ない。
それからずいぶんたつというのに、少し前までその当時の悩みに、胸が痛くなる思いもありました。が、それもなくなると、むしろ、たまには思い出してあげたいほどの武勇伝です。
先日夫と子育てを振り返り昔話をしました。仕事が忙しく、子育ては任せきりの父親でしたので、いろいろ疑問に思ったり、当時何が起きていたのかを、いまさらのように興味深く聞いてきました。
このブログにも書きましたが、次男は中学に入ったころから問題行動があり、学区中学を約4ヶ月休んでいた時期があります。結局、少し離れた学区に転校し、卒業まで1年半を過ごすことになります。
当時の悩み方の深刻さとは裏腹に、次男はとても快活な青年期を迎え、いま母を気遣う優しい社会人に成長しました。
夫にとってもその頃は深刻な思いだったようで、当時のことを、ある種の諦めがあったといいます。いまでも、どうやってその時期を乗り越えられたのかを、飲んだ肴に問いただされることがあります。
そんなときのだいたいの私の答えは。
「わからん(九州弁)」
ただ一つ、当時通っていた学習塾の室長先生のおかげがあったことは間違いありません。本当に親身になって、次男に寄り添ってくださいました。家庭以外に彼の居場所があって、しかもそれが学習塾であったため、目標が明確でシンプルだったため、迷いが生じにくかったことも幸いしました。
そんなふうにいうと、いかにも、塾では真面目に取り組んだように聞こえるかもしれませんが、まったくそうではありません。学習塾でも間違いなく問題児でした。ただ、その問題児を楽しんでくれる、先生やお友達たちの懐の広さがあったからに他なりません。
だらだらとした長文になります。
続きはまた後日書きます。