知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌⑧

2020-06-05 17:33:06 | 日記

防氷堤

知床日誌⑧
カムイワッカ大滝は硫黄山からオホーツク海に落ちる滝だ。湾に入ると水の色が変わる。多量の硫黄を含んでいるためだ。カムイワッカはかって硫黄採掘で栄えた。古い写真を見ると海岸には多くの建物が立ち並び、
滝の前には頑丈な桟橋がある。今は全てが自然に還っているが、桟橋の朽ちた柱や右岸の森の石垣などに80年前の痕跡を見ることができる。ここは観光知床の名所のひとつだが強制労働の場所でもあった。

このあたりの水は硫黄を含んで飲めない。だからカヤックを付けることはあまりないが、強い北風の時には唯一の避難場所になる。ただし水を持っていなければならない。ここは有名な場所だ。しかし私はよほどのことがない限り上陸しない。昔は語ることが出来なかったこの土地の歴史だが、今は自然史を含んで研究が進み、当時の状況も客観的に語られるようになっている。硫黄山での強制労働は大勢の命を奪った。戦後その霊を鎮めるためイタシュベツの浜に篤志家の僧侶によって慰霊碑が建てられた。知床殉難の碑と書かれたその石碑は今、ウトロの大安寺という寺にひっそりと建っている。

知床には人間の歴史がある。オホーツク海洋民の歴史があり、それに続くアイヌ民族の歴史もある。イタシュベツ(イダシベ)の海岸の上には数多くの竪穴住居跡が今も残っている。この海を漕ぐと多くのことに気付かされる。
私に分かるのは知床が豊かな土地だったことであり、先住する人々はそれを過不足なく利用していたということだ。必要のないことをしなければ自然は長持ちする。独占し収奪すれば結局は人だけでなく自然も傷む。そしてそれは知床に限った話ではない。

私は自分がまだ漕げることを有難く思っている。そして学んだことを伝える仕事をしていることに感謝している。しかしいつまでも続けられるとは思っていない。古傷の両手指は感覚がなくなり足元は覚束ない。眼はますます悪くなり次の免許更新では眼鏡が必要だろう。しかし高山病の低酸素障害の時のように理屈で考えて行動しようとする。しかし動き出すまで時間がかかる。考えてみればこれは年のせいではなく私本来の怠け癖の資質によるものではないだろうか。だから私は今、丁寧な仕事を心掛けている。カヤックトレーラーも車検を取って枠を作り直し、色まで塗った。いままでその場しのぎで現場で修理したラダーも精密な大工仕事で直した。しかし差し金がよく見えないので最後は目見当だ。ドライスーツの裂けたガスケットもシークトルースで直してもらった。これで安心して使ってもらえる。ノーライト弘中さんととウォーターフィールド水野さんのおかげで艇の準備は万全だ。もうだれからもロシア船とは言わせない。テントも良くなった。

水がもらない舟が私の中で当たり前になるのに随分時間がかかった。しかしカヤックは水漏れするものだ。そして道具は壊れる。壊れたらその場で直せばよい。知床のガイドには多くが求められる。しかしもっとも重要な判断する力が明らかに衰えている。何よりも勇気がなくなった。当たり前だが海は怖いところだ。だから過信は禁物だ。こころしてかからなければならない。


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