『ジョーカー』感想・考察・評価:我々はジョーカーに騙された?
公開後すぐ観に行きましたが、投稿が遅くなってしまい申し訳ありません。
多様な解釈が可能な作品ですが、今回も僕なりに隙間語ってみます。
『ジョーカー』
©Joker/Warner Bros. Pictures/DC Films/Joint Effort/Bron Creative/Village Roadshow Pictures
監督:トッド・フィリップス
キャスト:
ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ ザジー・ビーツetc.
概要
アメリカン・コミックス『バットマン』の最大の宿敵「ジョーカー」の誕生を描く。
DCEUなどの共有ユニバースには含まれない独立した作品。
第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。
あらすじ
1980年代。
腐敗と貧富の差にあえぐゴッサムシティでは、コメディアン志望のアーサー・フレックが、病気の母を支えながら極貧生活を送っていた。
街中で理不尽な暴力を振るわれたり、仕事を解雇されたりと、社会から虐げられる存在である彼の苦労は絶えない。
ある日、地下鉄で横暴な証券マンたちに襲われたアーサーは、持ち合わせた拳銃で彼らを殺害してしまう。
この事件は「持たざる者」から「持つ者」への制裁として貧困層から絶大な支持を集め、社会はこれまで以上に分断されていく。
一方でアーサー自身も、母の手紙に記されていた自身の出生の秘密を追いながら徐々に狂気を露にしていく。
素晴らしい完成度
正直、ジョーカーの出自が語られると聞いた時は不安でした。
もちろん「ジョーカーといえば出自不明だろ」とこだわっているわけではありません。
出自が明確なバージョンのジョーカーだってたくさんいますから。
ただ、傑作『キリング・ジョーク』で提示された「不幸な売れないコメディアンが狂気に走る」というオリジンを参考にすることは予想できましたし、その部分だけを下手になぞると、よくある話にしかならないんじゃないかという気がしていました。
実際、ストーリーの表面だけを見ると、「社会的弱者が悪へと変貌する」という筋書き自体に真新しさや意外性は感じません。
しかし、緻密な心理描写やホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技、そして多様な解釈を許す仕掛けによって、本作は「よくある話の一つ」と呼べるものではなくなっていました。
作品自体がジョークの可能性
さて、多面的なキャラクターであるジョーカーですが、今回の彼は徹底的に「社会的弱者」です。
後にジョーカーとなるアーサー・フレックは、貧困層である上に、突然笑いが止まらなくなるという脳と神経の病気に侵されています。
そのせいで、社会から虐げられ、見捨てられ、常に不幸のどん底にいます。
そんな彼が、やがて自身を痛めつけてきた者たちの命を奪う復讐鬼となり、カリスマとなるのが本作です。
しかし彼は、悪や混沌のカリスマというよりは、富裕層・支配層に反旗を翻す貧困層たちのシンボル、すなわち弱者のカリスマとなります。
これって、『ジョーカー』というタイトルを冠しているわりにはあまりにも「社会的弱者」という属性をフィーチャーしすぎな気もします。
そんなことを考えていると、ラストで自分の思いついたジョークの内容を尋ねられたジョーカーは、「君(たち)には理解できないさ」と返しました。
ひょっとしたら、「社会的弱者」というタイムリーかつ普遍的なポジションで共感を呼んでおきながら、最後には「共感できない存在」に戻ってきて視聴者を突き放すというのが、今回彼が仕掛けてきた最大のジョークなのかもしれません。
となると、この映画の本編は全て彼の妄想か作り話である可能性があります。
それを念頭にして振り返ると、
①実際に本編の一部が妄想であったことは明示されている
②時計の針が不自然に同じ時刻を指している
③アーサーがいつからラストの精神病院に入っていたのか不明
④本編ではどちらかというと謙虚で、カリスマとなった後も大衆の代表だったアーサーが、ラストでは自分とその他は異なる存在であると言いたげなプライドを覗かせている
⑤タイトルロゴや音楽がわりと大げさ(作中作であることを示唆?)
など、どんどん証拠となりそうな材料が見えてきます。
ただ、決定打ではないので、いろんな解釈ができると受け取るのが一番かもしれません。
ジョーカーの才能
現実だったのか妄想だったのかはとりあえず置いておいて、他に僕が着目したのは、ジョーカーの「俯瞰力」です。
アーサーは、自身の障害が、愛する母が元夫の暴力を黙認していたことによるものだと知り、「僕の人生は悲劇ではなく喜劇」だと理解します。
しかし、悲劇であろうが喜劇であろうが、自分の人生を俯瞰して「劇」と捉えること自体が彼の個性であり才能なのではないかと思います。
もちろん、人間は誰しもが、意識的にしろ無意識的にしろ人生を物語に見立てて生きていると思います。
ですが、一人きりなのに踊ってみたり、冷蔵庫に入ってみたりするアーサーは、自身の一挙手一投足が「劇」であるという観念に取り憑かれてすらいると感じます。
この俯瞰力が、社会の本質を見抜き、パロディ化する「ジョーカー」という存在の基礎になっていると考えると、やっぱりジョーカーは、誰もがなり得るように見えて、そうではないのかもしれません。
まとめと補足
不満な点としては、クライマックスの、自身を馬鹿にした国民的コメディアンのマレーを手にかけるシーンで、普通に弁論を始めて普通に銃で撃ったのにちょっと萎えました。
あそこまでジョーカーとして完成している段階なら、もっとヒネッた犯行にした方がよかったんじゃないかなあ。
その後の、自身を崇める貧困層の暴徒たちの前で踊ったシーンでは、やっとコメディアンとして自分の居場所を見つけられたんだなと思って感動しました。
それも作り話なのかもしれませんけど……。
僕としては、次はペンギンの単独映画化に期待です(絶対ない)。
評価:☆☆☆☆☆(5点満点)