不育症であること
不育症であると診断されて、思っていることについて。
不育症とは何か
まずザックリ不育症とは何かというと、お腹のなかで赤ちゃんが育ちにくいなんらかのリスクがあること。
調べてみないとわからない母体のホルモンや子宮の形態、血液の異常だったり、夫婦の染色体だったり、さまざまな要因があります。
それらの不育症リスクを発見し、適切な治療を施さないと流産や早産、死産を繰り返す可能性が高くなります。
検査は婦人科で行える保険診療のものと、保険がきかないものがあります。
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不育症は流産を繰り返しているという事実があってから疑われるものなので、どうしても発見は遅くなりますし、そのつらさのわりにあまり知られていないです。
自然流産は全妊娠の約15%、流産は珍しいことではないのでお医者さんが検査を面倒がって言っているわけではない
わたし自身も自分が1回流産するまで、不育症のふの字も知りませんでした。
流産は「まさか!」
とりあえずわたしはどのように自分の流産と不育症を受け止めているのか。
まずひとつは「まさか!」。
まさか自分が2回連続で流産をするとは思ってもいませんでした。
なんというか、東京マラソンのものすごい倍率の抽選に当たって、ドキドキしながら準備を始めて、家族も沿道に呼び寄せてみんなに応援してもらってスタートしたらコケて棄権。
端的に言うとそんな気持ちです。
反復流産の場合は、運だけは良いのかまた抽選に当たって、そしてまたコケる……笑。
おかげで「次もまたコケるかもしれない」というトラウマまで出来てしまう。
しかも自分だけでなく、夫、そして両親たちなど周りの家族たちにも。
だから2回めにダメになったときは、悲しいというよりは、なんだかわざわざ集まってくれたオーディエンスに申し訳ないような気持ちになったことは確かです。
でも病院や保健センターなどではこちらが何も言ってないのに「流産はあなたのせいじゃない。自分を責めないで」と声をかけてもらうことが多くて、そのたびに「えっ、そんなに自分を責める場面なの!?」と戸惑っていました笑。
実際調べてみたらわたしの体に不育症リスクはありましたが、それがわかってよかったとは思えど「わたしのせい」とは全然思わなかったです。
2度の流産は結果的にラッキーだった
強がったり悲しみを乗り越えるために「この流産には意味があった」と思いたいわけではなく、長期的に考えて2度の流産は結果的にラッキーなことが多かったです。
なにせ2度も流産を経験していなかったら、不育症検査は受けなかったわけで!
そもそも実は不育症検査で「これだ」というリスク因子が見つかるのもラッキーなほうなのですが、検査を受けていなければ異常を指摘された甲状腺ホルモンが安定していないことに気づかないままだったので、もしかしたらつわりがひどくなったかもしれないし、または週数が進んだあたりで甲状腺機能低下を指摘されて不安にかられて赤ちゃんにストレスが伝染していたかもしれない。
甲状腺のせいで産後の肥立ちが悪くなっても「産後だから体力が落ちているのかも」と放っておいて、体調を崩してせっかく生まれた赤ちゃんや夫と楽しく過ごせなくなっていたかもしれない。
そしてもし赤ちゃんを授かることがなくても、将来的に甲状腺疾患をそれこそただの更年期だと思って気づかずつらい思いをしてしまったかもしれない(甲状腺疾患は気づかれにくいので、体力や気力低下を「うつではないか」と片付けられてしまうことも多いと読みました)。
あと自分には血栓が出来やすいリスクがあることもわかったし。
健康意識も高まりました……
こういうことを考えると、2度の流産の経験は今後の自分の人生もだし、夫との夫婦関係もそうだし、生まれてくるかもしれない子ども含めて家族全員の人生にとってもすごくすごくラッキーだったと思います。
だからまだ見ぬ我が子には「気づかせてくれてありがとう」ですし「自分で生まれる前から環境を整えるなんてしっかりしてるな」ですし、30ウン年生きてきたわたしより親孝行だと思います。
そういえばわたしはまだ親孝行をしていない。
失ったものもあるけれど
とはいえもちろん短期間で妊娠と流産を繰り返しちゃったせいで失ったものもあります。
今回わたしは春→秋→春、と甲子園出場のようなペースで授かることができたので、細々やっていた仕事のスケジュールはさすがに入れられなくなりました。妊娠のことも隠していたので連絡が取りづらくなった仕事相手や浅い付き合いの知人も失ったというか連絡を取るのがもうめんどくさいというか。
もちろん趣味のほうも、数ヶ月前に申し込むような観劇のチケットが自分の体調が読めないので全く取れず、寂しかった……笑。
でもまあどれも先に挙げた「ラッキーなこと」と天秤にかければ、いくらでも取り返せる本当に些細なこと!
それにそのあたりは「妊娠出産は2人のことなんだから当たり前」と夫が精神的にも経済的にも支えてくれています。頼りがいのある自慢の夫です。
わたしも節約とかがんばろう
ということで現在も不安要素の多い妊娠中ではありますが、これからどんなことが起ころうと全て受け止めたいと思っています。
受け止め方は人それぞれ
流産の手術について調べていたとき、いろんな人のブログや体験談を目にしました。
同じくらいの年の人、年下の人、年上の人、長年治療をしていた人、この妊娠を機に結婚準備を進めていた人。
1人として同じ人がいないように、性格や環境、死生観、家族関係の違いがあって、流産の受け止め方はそれこそ本当に千差万別、人それぞれだと思います。
わたしの受け止め方もきっと、このブログを読んでくださる方にとって「わたしも」と思ったり、「違う」と思ったり、さまざまだと思います。
前置きが長くなりましたが、ひとまず自然流産となった1回めのおめでたの経過から順番に、不育症検査、そして現在に至るまで当時書いた日記をベースに時系列でこのブログは作っていきたいと思います。
▼時系列で読む場合のつづきの話はこちら
▼不育症検査関連はこちら
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▼メインの夫の観察絵日記はこちら