アフリカ

【スーダンが抱える過去】なんで怖いイメージ?

2020年2月23日

前回の記事までは、僕が今までで一番行って良かったと思っているスーダンの魅力についてお話しました。今回はスーダンでこの50年くらいで何があったか、簡単に振り返ります。なぜスーダンには怖いイメージがあるのか、少しはわかるかと思います。2回に渡って紹介します!今回は第1弾!

テロ

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1991年に、イラクvsアメリカ中心多国籍軍の構図で勃発した湾岸戦争。この戦争の最中かくかくしかじかあり、ビンラディンをはじめとするイスラム原理主義者は各国を追放されることになりますが、その際彼らを匿ったのはスーダンした。当然アメリカからすればイスラム原理主義者を匿うとは何事だって話になり、1993年にスーダンはテロ支援国家に指定されます(他にも要因はあったと思いますが)。アメリカは秘技、経済制裁を発動し輸出入制限や資金援助制限などなど、色んな罰を施します。その影響でスーダンでは今でもビザカードやマスターカードは使えません

2020年2月の時点でテロ支援国家に指定されてるのは、北朝鮮・イラン・スーダン・シリアの4カ国だけです。因みにイランでもビザマスターが使えないのは有名な話。知らないけど多分北朝鮮とシリアも同じなんだろう。違ったらすいません。

虐殺

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スーダン西部のダルフール地方で起きた民族浄化。国内少数派の非アラブ民族の中には、アラブ系政府に対する反対勢力がいましたが、非アラブ系の土地だったダルフール地方には、特にそういう人達が多かったよう。そして2003年、この地で反政府勢力と政府軍との紛争が起こります。この紛争で政府軍は、アラブ系民間人からなる民兵隊ジャンジャウィードを使って、反政府勢力を鎮めようとします。更に、ダルフール周辺に住む多くの民間人を殺します。住民は無差別に殺人され、生き残った人も強制移住をさせられます。国連発表では約30万人が亡くなり、250万人以上が避難民になったとされており、国連は「世界最大の人道危機」と呼びました。

中国

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ダルフール虐殺を裏で支援していたのは、実は中国政府でした。1993年にテロ支援国家に指定され経済制裁を受けていたスーダン。欧米各国との貿易が弱っていたわけで、そんなスーダンは中国にとって恰好の取引先でした。中国政府はアメリカの経済制裁とか気にしません。

スーダン政府に対し武器輸出などを行い、スーダンは中国から得た物資や資金を使って、ジャンジャウィードを後方支援、ダルフールでの虐殺を加速させたとされています。

当時中国は北京五輪を控えていましたが、ダルフール虐殺に対する中国の姿勢に世界各国は猛抗議。オリンピック中止を訴える国もありました。開会式&閉会式の芸術顧問を務める予定だったスティーブン・スピルバーグ監督はその任務を辞退したほどです。ユダヤ系の血を引くスピルバーグとしては、虐殺については特に思いがあったのかな。。

まとめ

スーダンの近代史について、僕が個人的に大事だと思ったものを簡単に紹介しました。なんでスーダンは世界から怖がられているのか、少しはわかったんじゃないでしょうか。実際はめちゃくちゃ平和だっただけに、逆にそんな恐怖スーダンをイメージすることができないです。。

次回の記事でも引き続きスーダン近代史(なんで怖いイメージ?)の紹介します。


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