最近発達障害のあれこれについて世の中が叫んでいたり誰かが叫んでいたりしますが、

別に私はもともと特別を望んではいない。

 

 

そして、もともとの考え方と思っていたこととの根本は別に変わっていない。

 

 

だけど、世の中の在り方が、変化が。

自分の望んでいる方向とは違う方向に進んでいる気がする。

 

 

特別でも異質でも格別でも至極でも究極でもない。

 

 

ただ、当たり前の中で、ちょっとした刺激があればいいとだけ思う。

 

 

悟りを開いたのか、うつ気味なのか、開き直ったのかわからないが、

無気力と言うより、無価値に近い昨今の自分の感覚。

 

 

といった前置きをしたところで活動報告。

 

 

・わがままの許容とは

 

発達障害の子(人)の言動がただのわがままだと思っていたが、

発達障害を理解してきたらそれは仕方のないことだと思えるようになったと結構な確率で人は言いますが。

 

 

そもそも、そのわがままの許容とはなんなのだろうか。

 

 

「私は発達障害なのでこうしてください、これはできません」

 

 

みたいな話があったとして、それを許容するのは私は怠慢だと思うのである。

というか、許容してしまうことはその人のわがままだと思うのである。

 

 

だって、発達に障害がないとされている子供が同じことをやったらわがままで、

発達障害がある子供がやったらわがままを許容する。

 

 

これは、区別と言うより差別に近いのではないだろうか。

実際どうとかいうのではなく、目の前でやられている人からすれば。

 

 

受け入れなくてはならないと思うのであれば、

そうじゃない子も受け入れてこその理解だと思う。

 

 

どちらか片一方だけに肩入れをするのなら、

それはただのひいきでしかないと、感じるわけです。

 

 

壁を作ったのは誰なのか。

 

 

発達障害が特別じゃないというのであれば、

特別な区別のない対応を行っていける改革が必要である。

と、私は思う。

 

 

 

男女平等を訴えたりジェンダー差別をなくせと言う人は、

トイレやお風呂がジェンダーレスになったり、女風呂に男性が掃除に来たりしても黙っていられるのだろうか。

 

 

それはそれ、これはこれというのであれば、

それは平等ではないし、均等でもない。

 

 

だって、仕事で来ているのに性的な感覚を持っているというのは平等ではないでしょう?

 

 

適材適所と役割分担をきちっと担える世の中になるのが一番だと私は思う。

差別をなくすのは難しいかもしれないが、きちんと区別が出来る世になればいいと思う。

 

 

煙草を吸っているからってだけで悪いことなんて何もない。

それこそこれも後付けルールで、吸っていい場所で吸っていかなければならなくなったというのを守れていない人が良くないだけ。

 

 

専用部屋がなくたって譲り合えればいいと思う。思いあえればいいと思う。

それ以上もそれ以下も私の中にはない。ルールを守れない、マナーを順守できない奴がおかしい。

 

 

そして、多様性が育たなかった発達障害は、世の中が思う一つのことに秀でている人にも慣れないと思う。

なんだかんだ、比較や自身との差異を知っていくことが、本当に必要な才を成長させるものだと思うので。

 

 

と、そういった意味でも、わがままとは何なのか、よくわからない。

自分にとって都合の悪いこと=わがままなのではないですかね。

 

 

そんな風に、わがままな私は思います。

 

 

・褒められた時の裏表

 

 

すごーいって言われたところで、それはその場のノリでしょう?

すごーいっていうってことはもっと凄いことを求めている?

すごーいって言うけど別に大したことなくても褒めとけばいいみたいな?

 

 

と、そのようなことを多々考える、感じる。

 

 

めんどくさい感覚だと自分でも思うが、結構同じように感じる人は多いようで。

 

 

ただ、脳構造的に発達障害は褒められるのが苦手な傾向にあるらしい。

 

 

その場合において、褒められたと感じやすくするためには。

 

 

人をほめたか?(個人)

事をほめたか?(物事)

 

 

絵が上手ね。

上手な絵ね。

 

 

絵が上手なことが当たり前と感じるようになっても褒めてあげる必要性がある。

継続は力なりではないが、継続が終わった時点で褒めるに値しないと感じる。みたいな。

 

 

どちらかと言うと、内容をほめる方が伝わりやすい。

 

 

犬を青で塗るその感性が面白い。

幸せの青い犬ってか?天才だな。

 

 

まぁ、これもある種の二段階称賛ですね。結局。

 

 

よく、発達障害のある子にはそうしたほうが良いのですかも言われますが、

別に発達障害あるなしに関係なく、大人も子供も関係なく、

こうされたら嬉しいは一緒のはずなんですよ、基本的には。

 

 

なんかもう全体的にそこに相違があるような気がすると感じます。

だから同じ人間として扱われている感覚がいまいち生まれないのでしょうね。

私の中で。

 

 

何はともかく、認めてあげること、統一性(一貫性)があることが大事です。

 

 

どんな子供でもどんな相手でもね。

 

 

特別は、基板がしっかりしていないとふわふわしていて気持ち悪いだけ、と私は感じています。

だから、障害があったりクラスでいち早くメガネだったりしただけでいじめられるんだよね。

 

 

発達障害を育ててれば偉いのかよ。

偉くないだろう、子供を育てているお父さんお母さんが偉いよ。

 

 

発達障害に限らず、そういったマイノリティを特別みたいにされるの本当嫌だわ。

 

 

と思った結果、やっぱうつ傾向なんか最近の自分と思うのであった。

 

 

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