なんか仕事がバタバタしてて遅くなってました。

指のギプスが取れたけど、取れただけじゃ思ったほどうまく動かせず、

やっぱりリハビリも必要なんだなと思ったりなんだり。

 

 

薬指が筋肉痛になりました。

 

 

以下、活動報告。

最近の私の中の悩みとして、ルールを守れない人のルールについて思います。

ごみ捨ての定められている時間は守れないくせに、次の日のごみを禁ちんと捨てている人々。

 

 

 

ルールを守っていないくせにルールを守るっておかしくね?

そこまでやるなら全部守れよって思うわけで。

 

 

ごみが捨てられていたらうろついているキツネやシカをそいつらの家にけしかけてやりたい。

 

 

・自閉症ってそもそもなにてきな?

自閉症は、その名にあるスペクトラムというものからあらわされるように、

連続性の中の連続性として存在していない部分的な感じかと。

 

 

文章での説明は難しいですが、

定型発達(平均発達)100点の人は存在していないと断言できるであろう。

 

 

そして、同じ感覚として、発達障害100点の人も存在していないであろうと断言できる。

 

 

社会が定めた平均点以上の社会性がなく、

社会生活を送っていくうえで、何らかの困難や支援が必要かもね。

 

 

といった人たちが、自閉症スペクトラムという診断を受けると思ってもらえたらいいのかも?

 

 

だから、一見して何でもないとか発達障害に見えないって人が存在していたってなにもおかしいことはない。

 

 

というか、目に見えない障害って言ってるんだから、

発達障害に見えないねの人の発達障害はどういう見た目なんだ。

 

 

 

ただ、自分自身でも何となく違和感を感じていたり、

周りの人からしてもなんか違うと感じていたりする。

 

 

そういう意味でもなんらかの支援が必要なのですが。

そもそもの話、どんなに完璧な人間だとしても誰の支援もなく生きていくことは難しい。

 

 

山の中で自給自足としている人だって、山の中で自給自足をするための知識や道具やを先人から与えられているわけで。

 

 

生まれた時から人間のいないところで人と一切かかわることなく生きていっていない限り、

どうやったって人は一人ではない。

 

 

そういう意味でも相互理解が必要なんでしょうね。

 

 

それが自然とできるのが、社会生活平均点以上の能力があると楽なんでしょうね。

 

 

・そもそもの話、そういった自覚と少し遠いところにいることの自覚が必要

 

 

みんなよーいどんでスタートしているんだから、

自分だけが出来ていないと思える人はなかなかいないと思うのですね。

 

 

 

発達障害の人とうまく接することができているとか、知識があるとか専門家だとかいう人と話すと、正直いつもイライラします。

 

 

結局それも、(発達障害)社会生活平均点以上なのであるだけであって、

全員に当てはまるわけではないということでもあるわけですね。

 

 

 

自分とあわない人と仲良くしようなんて希有な人はおらんでしょう。

わざわざそのあわせなくてもいい発達障害と仲良くしようという人も希有なもんだと思いますね、本当。

 

 

 

・過去を過去にできないから困っている

だからフラッシュバックに悩む。思い出したら今起こっている。

 

 

・自分を許す

そんなこと言われても悪いことしているわけでもない。

というか、嫌なことをされた事実も結果として嫌なことをしていた事実も事実なのに、

その相手が許してくれるならともかくなんで自分で自分を許すとなるのか理解不能。

 

 

・すぐ余計なお世話って言われるし基本的に余計なお世話と思う。

新設と余計の境目は?大体余計なんじゃないか?

 

 

・ネガティブをポジティブに変えるのは割とうまい(口先や他人のことなら)

口では何とでもいえる。人には何とでもいえる。

でも、自分の目の前のネガティブは変わらない。

 

すいませんをありがとうに変えましょう。

と言いつつ、すいませんと言っていたりするてきな。

 

 

すいません、ありがとうございますって言えればいいのよ。

 

 

 

・自分のペースを乱されるのが嫌い

誰だってそうでしょうっていうでしょう?

 

そういうレベルじゃあないのよね。

 

 

無意識の否定をしないようにすることの難しさを痛感します。

 

 

次回は、7月8日(水)夜18時からです。

 

 

 

◆↓気が向いたらポチって下さい↓◆

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキング