意味は同じなのに、神経発達症は伝えやすくて発達障害は伝えにくいらしい。

 

 

いや、意味同じやろ。

 

 

それだけ、障害というものに対してネガティブなイメージを抱いているということなんでしょうね。

 

 

私個人の意見ですけど、私はASDですけど。

 

 

今、発達障害って言葉がなくなると困るんですよね。

もっと正確に言えば、障害でなくなると困るんですよね。

 

 

将来的には神経発達症でもなんでもいいんだけどさ。

 

 

結局さ「特別な対応」「ほかの人と違うなにか」「伝えるための言葉や動作、道具等の選択」が別途必要なわけじゃないですか。

 


 

いわゆる「普通と違う対応」が必要で、

日常生活を行うにあたって「なんらかの工夫」が必要な時点で、

大なり小なり「障害」は発生するのであって、

それを超えるための「創意工夫をしなければならない事実は変わらない」と思うんだ。

 

 

発達障害って言う言い方をやめたとして、神経発達症(旧発達障害)が普通に会社とか学校に来たとしたら「特別支援学級」だったり「なんらかの特別な処置」が必要なことは変わらないわけじゃん。

 

 

 

伝えやすいから何?

 

 

むしろ伝えにくいことこそ、真剣に考えて真摯に取り組めべきなんじゃないのかね。

 

 

 

と、私は思いますけどね。

 

 

 

まぁ、「私はASDですが、今発達障害って言葉がなくなると困る」を言ったとたんに、

数秒前には「神経発達症の子はほめて伸ばしましょう」って言ってたくせに、

そっこう「いや、でもね!」ってめっちゃ強い口調で否定されて脳内は大爆笑だったけど。

 

 

あなたの大好きな神経発達症ですが、大人はほめて伸ばす必要性も話を聞く必要性もないですか、そうですか。

 

 

まぁ、しょせんよその人間の扱いなんてこんなもんかと。

 

 

理由すら聞いてもらえないのかと。

 

 

 

そして、余計に思った。

 

 

やっぱ、発達障害にかかわる人も含めてまだまだ特別な対応なんかが必要な障害でしかないな、と。

 

 

 

発達障害という言葉をなくすことより、

発達障害という無意識の差別をなくすことのが先だと思いますね、私は。