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熊本から気ままに山と自転車のブログ

内空閑神社・砥石の宝篋印塔群

内空閑神社・砥石の宝篋印塔群
2020/11/30(月) 曇

最高気温11°。午前11時過ぎから4時間限定で滴水のイチョウ、霜野康平寺を目的地にポタリングに出る。

滴水のイチョウに立ち寄った跡、熊鹿ロードに戻り北進する。山本橋から左折して県道3を辿る。
県道3を進むと右側の西圓寺の土手に山茶花の大木(写真1参照)が見えた。
奇麗な桃色の花が枝全体に咲いている。下には散り始めた花びらが落ちている。満開の季節のようだ。


今度は左側に「砥石の宝篋印塔」の標識があり、標識に従って左折する。
黄葉したイチョウが見えたので、立ち寄ろうと内空閑神社の鳥居(写真2参照)を潜る。


拝殿(写真3参照)と、右奥に紅葉とイチョウが見える。


拝殿正面に内空閑氏系譜(写真4参照)が、掲げてある。


左側には内空閑氏略歴(写真5参照)が、掲げてある。興味深いので全文転載する。
「初代基貞公は若年の頃から南朝(南北朝時代)に属し忠勤を尽くしたが南朝競わず終に南北合一の機運となり後亀山天皇の命にて菊池武朝をたより一族郎党を率いて下向することになった。
お暇迄に参内した際天皇が瓜の菓子と別盃を賜はったので瓜を記念して家紋を瓜の紋とした。当社例祭に冬瓜の酢物が今尚絶対欠くことの出来ないのもこの故である。
菊池氏は基貞公の為に山本郡を分与して厚遇した。公は永享四年(1432年)十月十九日八十有餘才で率した。
四代長載公の時六殿神社が再興され又下大清水神社が建立された。
六代親貞公は天文二年五月島津氏の侵攻を防ぐため菊池大友氏の命に依り津奈木に出陣激戦ついに戦死「一つ雷は内空閑さん」「半夏団子は食わない」等の伝説はこの公の関連したものと云ふ。(砥石のいはれも亦同じ)八代鎮資公(但馬守)上清水菅原神社を再建天正三年八月廿七日病死、夫人菊御前(山鹿城主隈部氏)も十二月後を追ふ如く死去、夫婦ともこの地に葬り一祠建てゝ祀り内空閑神社と崇める。
天正十五年豊臣秀吉九州平定後肥後国には佐々成政を封じたが成政見地を行ふや土豪反抗し隈部氏(山鹿)も亦叛く。内空閑氏は同氏と縁故深きため之を応援し成政の甥佐々宗能を迎え討った。
翌年一揆整理の際安国寺恵瓊(秀吉の謀将)鎮房公を柳川に呼びよせて殺し、鎮照公は牧野城に謀殺したので内空閑氏の正統はこゝに絶えた。
天正十六年(1588年) 昭和四十九年九月 舉 福田不覊人」


社殿右奥に見えていた紅葉、イチョウ(写真6参照)を外部から観る。


境内右側に宝篋印塔(写真7参照)が二基ある。こちらは説明板から、この神社の祭神内空閑鎮資公の墓碑と思う。


こちらの宝篋印塔(写真8参照)は、「・・・妙誾禅定尼十一月二日と刻印が見える・・・」とあるので、「内空閑氏略歴」の菊御前の死亡月が違うが、「夫婦共この地に葬り・・・」あるので、菊御前の墓碑と推測する。


植木町教育委員会の宝篋印塔説明板(写真9参照)には、「豊田大平往還の中程、砥石部落の入口今宿の原に内空閑神社があり、神社の南側には内空閑城跡を仰ぎ見ることが出来る。この境内に二基の墓碑がある。凝灰岩でつくられ、宗活禅定門山本郡主内空閑鎮資、天正三乙亥(1573年)八月廿七日の銘。他の一基は妙誾禅定尼同年十一月二日と刻印がみえる。この塔は階段状の笠と、四隅の突起した飾りが特色である。日本では鎌倉時代中期から供養塔または墓塔としている。塔身の四方には梵字が刻まれている。天正年間の創立で内空閑鎮資は、この神社の祭神であり、戦国末には山本郡一帯を支配し、郡主と書かれているのは注目される。
内空閑氏は隈部氏との連携のもとに城の守りを固めていった。八代の鎮資の妻菊は隈部親永の妹であり、弟の鎮房を九代跡取りに迎えたが、皮肉にも妻菊はやがて実子を出産した。ついにお家騒動に発展、城親賢が仲裁に入り、所領を二分するに至ったという。「新撰事跡通考」では北半分を鎮房、南半分を鎮照分と記している。
砥石の名の起こりは「往昔左近太夫内空閑親貞(六代)津奈木合戦に出陣の硎矢を石に研かれた。其の石は今も服部氏の庭にあり、依ってその石存する部落を砥石という。」との伝承がある。
鎮資は、生来歌舞音曲を好んだという。また毎年鎮資の命日には相撲の興行が行われた。昭和四十九年には神社創建四百年祭が行われ、詩碑の建立、境内の整備が行われている。また津奈木合戦時の一つ雷などの言い伝えが今に残っているのも、民衆が内空閑氏を領主として仰ぎ畏敬
の念を持っていたことのあらわれであろう。」とある。


内空閑神社を後にして、霜野康平寺に立ち寄り、13時半帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→康平寺20km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3時間) 総計44km 走行累計36,838km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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