日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」のズルさ。

以前にも書いたが、私は「話し合い」が苦手だ。

「話し合ってルールを決める」のも苦手だ。

 

先日、「 正しく怒れない。 - 日々、思うこと、考えること。のブックマークにこんなコメントをいただいた。

家族会議でルールが作られていないからでは? 自分の食器は自分で洗うと決めて洗わなかったら小遣いが減るなどのペナルティを課す などのルールを 毎週一回会議を開いて話し合ってすりあわせてみては?(koenjilala)

 

やはり「家族会議」と言う名の「話し合い」しか解決策はないんだよなぁと考えを改めつつ、まだ尻込みしている自分がいる。

「話し合い」ではなく「お願い」はしている。いるのだが、結果断られてしまい、その後代替え案を提示されもせず、今に至る。

きっと、私には相手を説得する技術・話術が不足しているのだ。もっと言えば、押しの強さ、喧嘩になっても引き下がらない粘り強さが足りないのだ。

 

 

「他人は変えられない。変えられるのは自分」

との言葉がある。

 

今の私が望む「話し合い」の理想は、

「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」だ。

おまけに、相手も同じく「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」と思っているのだろうな、とついつい想像をたくましくしてしまう悪い考え方の癖が働いてしまう。

さらに悪いのは「喧嘩になって傷付きたくない、気分を害したくない」「自分だけ悪者になりたくない」との自己保身がある。

だから、「話し合い」にどうしても積極的に、前向きになれない自分がいる。

手紙やメールで自分の気持ちを伝えるのも同じだ。

 

 

話は少し変わるが、最近とある男性俳優の不倫が世間をにぎわせている。

妻が第三子妊娠中、および双子育児中だったのも手伝って、大きな批判を浴びている状態だ。とはいえ、そもそもは彼ら夫婦の問題だ。やはり夫婦で「話し合い」をするほか解決の道はないのが現実だ。

さて、件の男性俳優の立場に立ってみたらどうだろう。「話し合い」で導かれるのは「妻と子供との別れ」か「過去の言動の改心」しかない。よっぽどのことがない限り、「不倫された私も悪い」と妻が「過去の言動の改心」とはならない。

 

相手に100%日があるとの確たる自信があれば「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」を堂々と主張できるのかもしれない。

けれども現実は違う。

私自身に100%の非があるわけではない。あるわけではないが、相手に100%の非があるわけでもない。

だからこそ、強く出たり、粘り強く交渉できない。

すぐに引き下がってしまう。

それが「正しい」「かっこいい」と思っている自分がきっといるのだろう。

 

 

もっとも一般論として、一方が偏って苦痛や不具合、不便さ、不快さを感じているのであれば、日がどちらかにあるのは別として「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」はズルくはないのだろう。

ないのだろうが、私自身が相手から「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」を求められ続けてきたがために、逆にそこに固執し悶々してしまう私だ。

 

私の性格をよく知る両親は言う。かつての上司や先輩も言っていた。

「もっと、ポン助が強く出るべきだよ!!」と。

「自分の意見を、気持ちをちゃんと言いなさい!!」と。

そんな彼らもいざとなったら「自分は変わらず、相手は変わって欲しい」を主張するのだから、皮肉だ。

 

 

「話し合いは大切だ」と人は言う。

さて、どれだけの人が「自分が変わる」のを含めて、相手の言葉、気持ち、事情を汲み取りつつ「話し合い」をしているのだろうか??