日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「母親は子供を預けるのに理由が必要である」という現実。

「怒られたくないから、嘘を吐く」のは、間違っている。

間違っているが、そのような人間は少なからずいる。子供だけでなく、大人も。そうして母親も。

 

前回の記事で触れた事件について。続報が出ている。

母親は飲み歩ていただけでなく、男性宅にも寄っていたらしい。

 

ここまで揃ってしまうと「そりゃあ、預けられないよな」と思わなくもなかった私だ。

 

親の責任として、「育てられないのであれば、産んではならない」は正論過ぎる正論だ。ただ、「育てられるかどうか、ふたを開けてみないとわからない」のが現実で、「

育てられると思ったけれども、想像以上に大変だった」のも現実だ。

現代社会において、「親の責任を全うできる人間しか子供を産めない」システムには残念ながらなっていない。

故に繰り返される悲劇なのだ。

 

ただ、非常に耳が痛いのだけれども、こんな記事を読んでしまうと「あぁ、私は何で自分に甘くて、心の弱い人間なのだろう」と、心がギュッと締め付けられてしまう。

特別この件だ。

今のところ、産む産まないの選択権は女性(母親)にあるのだから、母親が責任持つというは、当たり前の話じゃないかと私は思います。夫が産む産まないの選択権を持ってるなら、夫が責任持って育てるべき。社会に選択権があるなら、社会が育てるべき。それだけのことだと思います。

子供を盾に、弱者ぶるのはやめてほしいと思います。子育て中の母親が、弱者なのは当たり前。野生の世界を見てもそうでしょう。子育て中の母親が一番過酷です。自分の命を守ること、子供の命を守ること、かつ、餌も取るということ、一つひとつが矛盾する事を、全て同時にやらねばならないのだから。

子育て中の母親は、すべからず全員が弱者です。だから守ってもらえる福祉国家もありますが、日本はそうではない。そこまで豊かな国ではない、ということを、日本の女性は全員が分かっているべきだと思います。それが嫌なら、福祉が充実している国で子育てすればいい。選択権は本人にあります。

そうなのだ。この意見はとても正しい。

正しいのだけれども、それができない女性も母親でになれてしまうのが現実なのだ。少なくとも「日本を出て福祉の熱い国で子供を育てる」なんて選択、私は考えたこともなかった。

故の予防策であり、議論であるべきなのだと、私は思う。福祉とはそういうものだと考えるのは、私の考えが足りないからなのだろうか??

 

 

前回に記事でも触れているが、「親になりきれない親」をどう支援するかとの点で、重要になってくるのが「子供を預けるのにはそれなりの理由必要である」という問題だと私は思っている。「それなりの理由が必要である」のが育児放棄の抑止力になっている人もいれば、そうでない人もいる。そうして、後者の人間が起こす最悪の結末が今回のような事件だ。

故に「子供を預けるのにそれなりの理由が必要」であるのは非常に大きな問題だと私は考えている。

 

これが父親だった場合「朝方まで飲み明かしていても」「女性の家に立ち寄っていても」なかなか最悪の結末にはならない。何故なら、ほぼ確実に、父親に代わりに母親が家で育児をしているからだ。

育児中の父親の浮気話やお酒の話は割とよく聞く話だ。大黒柱として働いているのであれば、どんなに子供の有無、年齢関係なく「飲み会や夜の風俗も仕事のうち」「息抜きに趣味は必要」「休日は急速に充てるべき」と主張する人は老若男女いる。

であるのであれば、母親にだって「理由を問われず子供を預かってもらえる場所・人」があっても、いてもいいのではないだろうか、と私は考えてしまう。

理想論かもしれないが、その理想論で幼い命が救われるのであれば、それに越したことはない。