日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「自分の負担を軽くしてほしい、そのために効率よく動いてほしい」との願望。

夫からの私の家事・育児に関する言動は、結局この2点に尽きるのかもしれない。

「自分の負担を軽くしてほしい」

「そのために効率よく動いてほしい」

そうして、私の夫に対する不満も、そこあるように思う。

 

世間一般的にも、

「察して行動してほしい」

「自分で考えて行動してほしい」

との言い回しをする人が多いが、要は「自分の負担を軽くするために、効率よく動いてほしい」が本音ではないだろうか??

ただ、こういう表現では角が立つし「上から目線だ」と反感をかんてしまう。故に、オブラートに包むのだろう。

 

私自身も、言葉にはできないが、そう思っている。夫の日頃の言動からそのような本音を垣間見るようになり、より一層自分もそう思うようになったのだ。

だからこそ、休日の夫にトイレットペーパー等の日用品を買う発想がそもそもなかったり、当たり前のように仕事帰りの私が夕食を作る前提で話すのに、イライラモヤモヤするのだ。

役割分担との名分もある。

夫に養ってもらっている事実もある。

あるけれども、夫からの感謝や敬意のようなものが感じられないのが、悲しいしつらい。みじめだなとも思う。

かと言って、この気持ちを言葉や文字で直接夫にこの気持ちを伝えるのには、どうしてもためらいがある。プライドなのか、引け目なのか。ただ単に勇気がないだけ、なのか。一定はいけない、非常に図々しい言葉のように、私には思えてしまう。

夫は「俺が養ってやってるんだ」とは言わない。言わないが、現状私は夫に養ってもらっており、夫の給料を私が握ってもいない。故に、「夫を怒らせてはいけない」と心の奥底で思っている自分がいる。故に、ブレーキがかかる。

 

働き出してからというもの、夫の言動に対するいら立ちを「正当化したい気持ち」がますます出てきた。

「家事・育児に支障のない程度に働く」との耳触りの良い言葉の現実は「家事・育児に支障のあるようにしか働けず、それでいて働く人間として周囲の人間に扱ってもらえない」理不尽だったからだ。

 

自分がどうしたいのか、どうすればよいのか、ちょっとわからなくなってしまった。

夫に変わってほしい。

でも、夫を怒らせたくない。

自分が変わりたい。

でも、変わる方向性がわからない。勇気もない。

こんな堂々巡りを、いつものようにしている私だ。