人にものを頼むのは簡単ではない。
家事・育児の夫婦間の分担について。
夫が「気が付かない」「言わないとしない」「言われたことしかしない」と主張する妻と、妻が「察してほしいと言う」「具体的な指示を出さない」「言われたことはしているのに、文句を言う」と不満を漏らす夫、との対立構造はもはや珍しくはない。
偶然にもこの記事を書いている途中でこんなエントリーを見つけた。
私は、両親にもの(主に育児に関するもの)を頼むのには躊躇はない。何故なら、両親は育児の当事者ではないからだ。故に、断られても、やらなくても、腹も立たないし、苛立ちもしない。
けれども、夫に対しては違う。
何故なら、夫は家事・育児の当事者でかつ、「できそう(私の主観)なのに、断る率が高い」からだ。
心理的に、きっと私の中では私と夫は対等ではないのだと思う。
どこかに「私は夫に養ってもらっているのだから」と、自分を卑下する気持ちがある。自分の家事・育児に全く自信がないのも大きいように思う。少なくとも、いざ離婚となったら、圧倒的に自分が不利だとの自覚がある。
仕事はアルバイトしかしておらず、手取りは夫の月収の五分の一程しかない。それ以前は、仕事をしていなかった。
だからと言って、夫婦が対等でないと考えるのはおかしいと思う。もし、第三者にはそうはっきりと言うだろう。「おかしいよ」と。
けれども、自分のこととなると話は違ってくるから、おかしな話だなと自分でも思うけれども。
件のエントリーでは、「後輩に教える」とある。すなわち、そこには明確な「上から下へ」と言う上下関係が存在している。
もしこれが「上司に教える」「先輩に教える」とあったらどうだろう。すんなりと「なるほどね!!」とはきっとならないだろう。
たとへ、対等の関係同士であっても「やる気もなく、断られる率も高い」相手であったのならば、きっと違っていたに違いない。
もっとも「その気のない、断られる率の高い」人に対して、「こちらの要求を呑んでもらうテクニック」は存在するのだろうけれども。きっと簡単なものではないからこそ、皆悩みモヤモヤするのではないだろうか??
私は人にものを頼むときは「人を選んでいる」ように思う。そうして、私にとって夫はその「選ばれた人」から、長い年月を経て外れてしまったのだ。
さて。長女の宿題の一つに「お手伝い」がある。今は、長女が率先して、自ら気が付いてお手伝いをしてくれるのは稀だ。まだまだ、長女のために仕事を残したり、お手伝いを促さないとやらない、と言うかやれないのが現状だ。長女ができるお手伝い、したいお手伝いは限られている。かと言って、それらをいつまでも残しておくと、残りの家事が全体的にうまく回らなくなってしまう。
けれども、長女には「お手伝いは自分の仕事だ」との当事者意識がある。故に、非常にものを頼みやすい。
もしかしたら、長女と同じように、夫にも接すればよいのかもしれないけれども。私は、夫に対し、長女に対するそれと同じ口調で叱る自信が全くない。夫には「家事・育児も自分の仕事だ」との当事者意識が薄いように私にはどうしても思えてしまうからだ。そんな夫に対して、「頼む」「教える」のハードルは極めて高い。