日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「苦労の怨霊」の連鎖を断ち切れない私たち。

前回の記事の続き。

こんなコメントいただいて、妙に納得してしまった私だ。

one-mam これすごく分かります。そこかしこにありますよね。私はこういう心理を苦労の怨霊と呼んで認識するようにしています。
2020/11/16

 「苦労の怨念」とは言いえて妙だなぁと思いつつ。

けれども一方で、この「苦労の怨念」の連鎖を断ち切るのが難しいからこその、問題なのだよなぁと考えてしまった。

 

前回の記事に取り上げた広告については、こんなエントリーもあり大きな注目を集めている。

 特別ここの件に、「そうそう!!」と膝を打ってしまった。

ただ、ツッコミを入れられるからといって小火って当然だとは私は思いませんし、私自身は、コンテンツとして全然許容できる範囲です。なぜ燃えたか分からない人向けに私見を書くと、この小火は、「日本で母親の家事が完璧でないといけないという呪いが還流してきた小火」です。

上で"私だったら多分キレてる笑"という人が2年目の子持ちであるように、たとえ乳幼児の育児中でも昼のうちに食べた食器を夜までには洗っておかないと家事をちゃんとやったとみなされない空気の中に、まだ多くの女性がいるから、そのスタンダードに外れた家事スタイルを漫画で見かけて、「私はしっかりしているのに(させられているのに)、これを家事育児とは呼ばせない」と思う人がいると私は見てます。ある意味、被害者意識が根底にある。

 

そう、被害者意識なのだけれども、その心の傷を声を大にして発信し、同情を集め、慰めてもらえる場が「あるようで、ない」のがこの問題をより根深いものにしているように、私には思えてならない。

もっと言えば、「完ぺきな家事・育児」をしないために、サポートを求めるべき相手である、夫や両親、義理両親、保育士、幼稚園や学校の先生、その他専門分野の有資格者から、様々な角度で「完ぺきな家事・育児」を求められるからこそ、苦しいのだ。

一人一人の主義主張が「完ぺきな家事・育児」でなくとも、彼らの意見を総合すると「完ぺきな家事・育児」に落ち着いてしまう。だからこそ、絵空事の「完ぺきな家事・育児」に多くの母親が囚われてしまうのではないだろうか??

 

また、もっと言えば、この「苦労の怨霊の連鎖」について、「できないのは個人の問題である」と切り捨てられてしまうのも、問題だと思っている。

この問題を「個人の問題」と切り捨てようとすればするほど、「苦労の怨霊の連鎖」を断ち切るのは難しくなっていくのではないだろうか、と私は思っている。