このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

もうはっきりと竜と獣と偽預言者のこと見えてしまったわ。この獣と偽預言者が魔王と娼婦の関係性なのよね。そしてあの国とあの国がその破滅性の関係でしっかりと結ばれているの。そしてね、大きな傘を広げているのよ。

 

その傘の外にあるのがこの国なのだけれども、それに気が付かない国民がその傘の下で守られているという皮肉。政治屋さんたちはその下でやれ右や左だと議論しているけれどもその本心は、その傘の下でより上席を占めたいだけなのよ。それにはお金と権力は絶対に必要なの。魔王と娼婦がさしている傘がそれでなり立っているのだからどうしてもそうなるのよね。だからその魔王と娼婦の傘の下でみんな右の手か額に六百六十六と印を受けるの。でもね、その傘印はこの世限りなのよ。結界を超えてしまったら何の役にも立たない破れ傘よ。

 

その魔王と娼婦なのだけれどヨハネは二匹の獣と表現しているでしょ。一匹の獣は頭に打撃を受け、死んだかと思われたけれどもその傷も癒えてしまったと書かれているでしょ。その傷が癒えて頭角を現したのが、この国で傘が二回も大爆発した直後なのよね。いったい何ということかしら。

 

その破れ傘が見えてしまったらそこから非難するしかないでしょ。どこに避難するかというとメシアとその許嫁の傘の下。この傘は別名、創造と救済の傘だから結界を超えても破れ傘にはならないわよ。

 

この傘の下に避難するにはみ使いから額に印を受けなければならないのよ。ヨハネはそのように示唆しているでしょ。私はその印は八百八十八だと思っているのよ。額にその印を受けると三つめの目が開くわよ。頭頂の千の花びらも開いてしまうの。お釈迦さまはその印を受けることを梵天灌頂と言ったのではなかったかしら。三千年に一度開く優曇華の花かしら。

 

でも三千年に一度では頻度少なすぎるでしょ。この国においてはその大輪の花が大挙して咲き乱れる、そのような時代が来てもいい頃だと思うのだけど、どうなのかしら。痩せたお花畑のまま終わるのかしら。

聖書によれば、イスラエルには超大輪の花が開いたけれども、畑は痩せたまま荒れ果てたでしょ。失われたイスラエルにはその花が開きっぱなしだったのだけれど、畑は痩せたままでしょ。同じこと繰り返すのかしら?それとも・・・・


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング