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「麒麟がくる」第31話は明智十兵衛光秀が信長さまからの信頼を勝ち取った回

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「麒麟がくる」第31話は明智十兵衛光秀が信長さまからの信頼を勝ち取った回
麒麟で学ぶ」
第31回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかります。

  1. 池田勝正の重要性
  2. 織田勢が宿泊した国吉城の主
  3. 越前討伐に帯同したお公家さま
  4. 覚書は5か条だけじゃない
  5. 朽木谷をスルーするな
  6. 藤吉郎の話の真偽←
金ヶ崎の退き口で空気になりがちな
池田勝正朽木元綱に関しては
覚えていってほしいですね。
最後のはツッコミ入ってる辺りで
察してください(笑)

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

※本記事掲載のAmazonプライムビデオおよびU-NEXT配信情報は、2021年3月31日時点のものです。
最新情報については各サイトにてご確認ください。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。
→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第31話「逃げよ信長」からの学び

撤退戦の指揮を任された明智十兵衛光秀
まずは全体の感想から。

金ヶ崎の退き口がメインとなった31話は
織田家中における十兵衛への信頼度が
より大きくなった回でもあると思うんですが
多少茶々を入れたくなる気分になる回でもw

信長さまが撤退戦の総指揮を
幕臣扱いの十兵衛に任せましたよね。
麒麟がくる」は十兵衛が主人公なので
そういう意味ではこの選択納得できるけど
尾張や美濃の平定戦で共に汗水たらして
戦ってきたわけでもない武将の指示に
家臣一同が従うんでしょうか?
撤退戦って、言わずもがな戦場から逃げる戦。
士気は乱れがちで統率を取るのが非常に難しく
戦死者も多くでやすいというのが私の認識。

例えば後に朝倉義景を追い詰めることになる
刀根坂の戦いも越前へ撤退途中の朝倉軍を
織田軍が追い打ちをかけたことで
山崎吉家ら主要な家臣たちを失ったし
織田・徳川連合軍が甲斐武田氏に大勝利した
と言われている長篠の戦い
武田軍の撤退時における追撃で
多くの死者を出したと言われています。
それだけ脆く崩れやすい逃げ戦を
織田家臣ではなく幕臣でも下っ端っぽい十兵衛に
果たして任せて大丈夫なんでしょうか。
柴田勝家が文句も言わずに従っていたのも
ちょっと違和感がありました。

織田家中だとあの場にはいなかった
佐久間信盛が殿が得意で
「退き佐久間」と称される程。
佐久間信盛織田家中の筆頭家老でもあるし
元々織田家の主要な戦線で常に参戦して
功を上げていた人物の一人でもあるので
本来ならば佐久間信盛が適任なのかな~。
でもあの場にはいなかったので、そうなると
柴田勝家を総大将にするのが適任なような。

負けを勝ちに見せかけるのが上手い明智十兵衛光秀
とかいう余計なツッコミはさておき
この撤退戦によって十兵衛への信頼度は
織田家中でも非常に高まったことでしょう。
とりわけ信長さま今後今まで以上に
十兵衛を頼るようになりそうな予感。
そしれこれもまた本能寺の変が成功してしまう
着実な一歩となるんだろうな
と感じさせる第31話でした。

といったところでそろそろ本題へ。

ちなみに第31話の公式サイトのトリセツ
こちらです。
トリセツのメインはもちろん金ヶ崎の退き口の
補足的な図解がメインです。

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は永禄13年(1570年)4月スタート
というわけで全員の年齢を加算。

追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.越前朝倉氏討伐からの学び

徳川家康松永久秀池田勝正が従軍
朝倉征伐のために徳川家康、池田勝正、松永久秀らが妙覚寺へ集結
若狭の武藤友益討伐を名目に始まった
越前朝倉氏の討伐には
三河から徳川家康
摂津から池田勝正
そして大和からは松永久秀
参戦していました。

この池田勝正は個人的にはとても不遇な武将。
信長の野望・創造 戦国立志伝の池田勝正
なぜなら、浅井長政の裏切りによって始まった
金ヶ崎の退き口において殿を務めたのに
数々のドラマ等ではそのことには触れられず
木下藤吉郎や十兵衛に活躍を
根こそぎ奪われているからです(笑)
金ヶ崎の退き口で殿を務めたのは
藤吉郎と十兵衛に加えて、この池田勝正
信長さまを無事京へ逃がした
功労者の一人と言われています。
そしてこの三人の中で一番身分が高いのは
池田勝正なんですよね。

池田勝正は、元は三好氏に従っていた
摂津池田城の城主です。
なので、信長さまの上洛戦の際には
最後まで抵抗をしていたことを
確か柴田勝家辺りが劇中でも
触れたことがあったと思います。
最後まで抵抗したにも関わらず許された上に
信長さまは領地安堵の上、加増までも。
それだけ摂津における池田氏の支配力が
大きかったのかもしれないし、
その能力も認められていたといこと
なのかなと思います。
そしてこの池田勝正伊丹城の伊丹親興、
芥川山城の和田惟政の三人は
幕府から摂津守護を任されて
「摂津三守護」
と称されています。
本国寺で足利義昭三好三人衆に襲撃された時も
池田勝正は援軍として駆けつけています。

殿の中では一番身分がしっかりしてるのに
毎回名前すら出てこなかったり
一番扱いが酷いんですが
今回は最初に名前出てきたら
「おや?もしや名誉挽回か?
とか思ったけど
やっぱり十兵衛と藤吉郎に奪われました(笑)

そしてこの金ヶ崎の退き口の直後に
荒木村重と同族の池田知正
池田城から追放されてしまう事件が発生します。
この辺の事もあってか信長の野望シリーズでも
不当な扱いを受けている武将の一人です(笑)

さて、松永久秀も参戦していましたが
松永久秀も金ヶ崎の退き口の際には
信長さまが朽木谷を越える際に
朽木谷の領主である朽木元綱を説得した事で
無事京へ抜けることが出来たと言われています。
麒麟がくる」では松永久秀が主要人物なので
ちらっとその場面描かれるのかな~
と期待してたんだけど・・・。
朽木谷に関してはまた後で触れます。

そしてもう一人、徳川家康
松平から徳川への改姓は語られていませんけど
永禄9年(1566年)に改姓していています。
そしてこの改姓に当たっては
近衛前久に相談をしたそうですよ。
この辺の細かい事もいちいち触れていては
尺が全然足りないし
十兵衛にも直接関係ない話なので
何事も無かったかのように
十兵衛は「徳川殿」と呼んでましたね(笑)

よくよく考えるとこの越前討伐には
三英傑は揃ってるし本能寺の変の首謀者も
戦国三大梟雄の一人も居るっていう
戦国時代好きには堪らない
超豪華メンバー勢揃いですね。
池田勝正が存在感薄くなってしまうのも
仕方ないか・・・(笑)

若狭国衆の方々=旧若狭武田家家臣
若狭国衆の方々の中にはおそらく粟屋勝久もいたであろう
藤吉郎がまた調子の良い口調で
地元若狭の国衆たちを出迎えていましたが(笑)、
若狭衆がこの越前討伐に参戦したことは
前回の記事でも少し触れました。
tsukumogatari.hatenablog.com
若狭衆っていうのは要するに
若狭を支配していた若狭武田氏の旧臣たちで
粟屋勝久、熊谷直之、逸見昌経らが
織田勢としてこの戦いに加勢しています。
若狭武田氏が朝倉義景の若狭侵攻で敗れて
従属する形をとっていた事と
そもそも若狭武田氏内での内紛によって
家中が分裂していたことが
若狭衆の織田家への協力に繋がったようです。
佐柿には若狭衆の粟屋勝久居城・国吉城があった
ちなみに劇中に出てきた国吉城は
前述の粟屋勝久の居城。
粟屋勝久は若狭に侵攻してきた朝倉義景
徹底して対抗していた一人でもあり
織田軍の若狭侵攻に当たっても
その宿所として居城を提供したのに
名前すら登場しなかったですね(笑)

公家みたいな人が二人帯同していた?
織田信長を座して待つ皆の中に公家のような人たちが?
国吉城で織田軍一同が介していた際に
上座寄りに公家みたいな二人がいたの
気付きましたか?
特に誰っていう紹介はなかったんですけれども
金ヶ崎の戦いには
公家の日野輝資飛鳥井雅敦
従軍したと言われています。
戦に公家の人が何故帯同するのかというのは
私も詳しくは知らないんですが
信長さまは公家も帯同させることによって
自らの戦の正当性をアピールを狙っていた
みたいな話があったりします。

さて、日野輝資は権大納言・広橋国光の子で
元は広橋兼保という名でしたが
日野家に養子にはいったことで日野輝資に
改名しています。
日野家といえば
室町幕府の8代将軍・足利義政正室
日本三大悪女とも言われる日野富子
こういう「日本三大〇〇」とかで挙げられる人達は
近年の研究では実際そうでもなかった事が
主張されたりして覆されてたりしますが
日野富子もその一人ではありますね。
麒麟がくる」に出てくる松永久秀もしかり。

その辺の話はさておき日野輝資は
日野富子の家系の日野家を継いでいます。
輝資が日野家を継ぐにあたっても
実は当時の将軍・足利義輝三好長慶とで
誰を後継にするかで争ったそうです。
結果は将軍・足利義輝が擁した広橋兼保、
つまり後の日野輝資が跡を継ぐことに。
「輝」の字はお察しの通り足利義輝からの一字。

もう一人の飛鳥井雅敦は飛鳥井家12代目当主で
祖父の飛鳥井雅綱は信長さまの父・織田信秀
請われて尾張まで蹴鞠伝授に出向いたお方。
その辺の話は第4回で触れています。
tsukumogatari.hatenablog.com
飛鳥井雅敦は天正6年(1578年)に若くして
亡くなってしまったこともあって
よくわからないんですが、
その子・飛鳥井雅庸(あすかいまさつね)は
後水尾天皇徳川秀忠細川忠興島津家久らに
蹴鞠の指導をしたそうなのでその父である雅敦も
やはり蹴鞠に秀でていたのではないでしょうか。

越前朝倉氏が支配していた敦賀
わずか2日で織田軍に落とされた手筒山城と金ヶ崎城
織田の軍勢が敦賀の手筒山城と
朝倉景恒の守る金ヶ崎城
あっさりと手に入れていましたが
この敦賀一体は越前朝倉氏の一族で
敦賀郡司であった朝倉景紀*1
その子・朝倉景恒が支配していた土地です。
tsukumogatari.hatenablog.com
朝倉景紀は越前朝倉氏の三代の当主を支えた
名参謀の朝倉宗滴の養子です。
tsukumogatari.hatenablog.com
この朝倉宗滴が務めていた敦賀郡司職を
朝倉景紀と、その子である景恒が継ぎました。
この親子は2人とも「麒麟がくる」には
出てきていませんが(景恒は名前のみ登場)
一方で既に登場済みで同じ朝倉氏の一族の
朝倉景鏡は大野郡司を務めていました。
大野郡は現在の福井県大野市辺りです。

朝倉氏の一族としてそれぞれ敦賀郡と大野郡を
治めつつ戦の折には総大将を務めるなど
朝倉氏を支えていた両者なんですが。

金ヶ崎の戦いより4年前の永禄7年(1564年)
加賀一向一揆を鎮圧する戦に出陣する際に
朝倉景鏡と朝倉景紀の嫡男・景垙(かげみつ)が
どちらが総大将を務めるかで口論が始まります。
その結果、敗れた景垙は陣中で自害してしまう
という事件が起きたそうです。
また金ヶ崎の戦いにおいても
朝倉景鏡は後詰として出陣していたにも関わらず
日和見を決め込んで金ヶ崎城に加勢をしなかった
という話もあったりします。
この辺の話は、後々朝倉景鏡が朝倉義景
裏切って織田方についたことから
多少誇張されて伝わっているのかもしれませんが
麒麟がくる」の朝倉景鏡は登場当初から
少し不穏な雰囲気醸し出してましたね(笑)

今後も重要な地となる刀根坂
刀根坂は織田vs朝倉で激戦となる地だがまだ少し先の話
地図上のみに出てきただけの刀根坂。
最初の方でもちょっと触れちゃいましたけど
後に織田方の追撃によって多くの家臣を失った
朝倉氏にとっては因縁の土地となります。
刀根坂の戦いが「麒麟がくる」で
どれぐらい触れられるかは不明ですが
山崎吉家が登場していることを考えると
ノータッチってことは無いと思うので
覚えておくといいかもしれません。

1.2.金ヶ崎の退き口からの学び

浅井長政の裏切り
織田信長を裏切り朝倉義景につくことを妻・お市に告げる浅井長政
浅井長政の裏切りを
十兵衛から知らされた信長さま。
浅井長政の裏切りは全く頭になかったのか
小谷から出陣したという話を聞いた信長さまは
浅井長政が頼んでもいない援軍を出した
と最初は考えたみたいですね。
裏切りを一ミリも裏切っていない辺りは
信長さまの純粋さなのか?と思いきや
でもちょっと待ってほしい。
信長公記」でも浅井長政の裏切りを
最初は信用してなかったって言うんだけど
最初に裏切っているのは
信長さまの方なのでは・・・(笑)

浅井長政織田家からの婚姻同盟を結ぶ際に
条件として、朝倉氏には勝手に手を出さない事と
もしも攻める場合は一言相談する事
みたいな約束をした上で
同盟を結んだはずなのに
それを破って越前朝倉攻めを敢行。
どう考えても先に裏切ってるのは信長さまです。
朝倉攻めを決めた際に浅井長政が裏切る可能性は
本当に1ミリも考えてなかったんですかね。
この辺の話が本当なら純粋というよりも
むしろ少し身勝手さを感じるんですが(笑)

まぁこういう思い込みが後の本能寺の変
十兵衛に斃される原因なのかもしれません。

信長の妹・市、小豆袋の逸話採用されず
夫の裏切りを陣中見舞いの小豆袋で兄・信長に伝えた逸話が残るお市の方
麒麟がくる」では信長さまの妹・市が
陣中見舞いで送った小豆袋で
夫・浅井長政の裏切りを兄に伝える

という逸話を採用しませんでした。
この話は後世の創作話と言われているので
不採用は有りだと思うんですが
その代わりに左馬助が浅井勢の小谷出陣の報を
左馬之助の手の者?から受け取って
それが十兵衛に伝わる、という構図も
ちょっと出来過ぎなのでは?
と思わなくもない話。

ですが、十兵衛は元々この金ヶ崎の戦において
実際には信長さまたちよりも先に戦場へ
赴いて周辺の様子を探ったりしていた
ようです。
その辺りのことが、当時十兵衛が細川藤孝
送った文に書かれています。
ということは十兵衛の片腕的存在として
裏方で大活躍している左馬助が
周辺の状況を探るために
何かしらの手の者を至る所に忍ばせていた
と言うのも有り得る話、
という納得の仕方で落ち着くことにしました(笑)

ちなみに「信長公記」では浅井長政の裏切りを
誰が伝えたかというのは明言されておらず
むしろ裏切った情報が『次々に入ってきた』
と表現されています。
つまり、十兵衛が別室に誘って信長さまに
伝えるような配慮は必要ないぐらい
浅井裏切りの報で陣中はごった返していた
というのが本当のところなのかもしれません。

信長さまの脆さ
撤退せざるを得ない状況に悔し涙を流す織田信長
麒麟がくる」の信長さまは
従来あるようなイメージの織田信長
近づいてきた感はあるんだけど
どうにもやっぱり繊細な部分とか
脆い部分を感じますね。

褒められたらきっと100%以上の力を
発揮できる人なんだけど
裏切られたり蔑ろにされたりすると
その落ち込み様が半端ないです。
その辺のルーツは母・土田御前との
関係性にあるのだと思うんですが
ちょっとそれが危なっかしく感じます。
浅井長政の裏切りを悟ってからは
冷静さを失ってましたが
京へ命辛々戻ってからは
逃げ帰ってきたことの報告を
公方さま(足利義昭)や帰蝶さまへ
どう報告したらいいかウジウジ悩んで
家臣の誰とも会わず引き籠ってました。
十兵衛がもしも生きて帰ってこれなかったら
あの信長さまを立ち直らせることが出来た人は
京にはいなかったのではないでしょうか。

麒麟がくる」の序盤の主人公と言ってもいい
斎藤道三さまも周りに味方らしい味方がおらず
同様に危なっかしさを感じていたんですけど
道三さまと信長さまではメンタルの強さに
違いがあるような気がします。
道三さまにはたとえ一人きりであっても
自らの目的達成のためには手段を選ばず
自分の道を進んでいくタイプでしたけど
(※それ故、国衆からの反発も大きかったw)
信長さまは正にガラスのハートの持ち主で
もはや完全に信用しきっている十兵衛が
裏切ったりしたら発狂してまって
「是非に及ばず」
なんて言葉も出てこないのでは。
まだ本能寺の変までは時間があるので
それまでの間の多くの裏切りを通して
強くなっていくのかどうか・・・。
少し心配になります(笑)

秀吉の末妹の話は本当か?
死んで名が残るなら本望という木下藤吉郎
金ヶ崎の退き口で殿を十兵衛に願い出た藤吉郎。
その時に病で寝込んでしまった末妹を
自分のせいで殺してしまった
という話をしていました。
藤吉郎の兄弟姉妹といえば
姉の智、のちの日秀尼
弟の木下小一郎長秀、後の羽柴秀長
そして後に徳川家康の継室となった妹の朝日姫。
藤吉郎の話の中で『隣村に嫁に行った姉』
というのは、おそらく智のことなんでしょうが
末妹って一体誰なのか。
病で亡くなったっていう話なので
朝日姫ってことはないし・・・
果たしてこの話は本当なんだろうか?
命がけで殿を務めてその役目を果たし
しかも無事帰還できたら
それ相応の出世ができるかもしれない

だからこそ、どうしても殿を任せてもらうために
考えた作り話だったりしないだろうか?
なんて考え方をする私はひねくれ者かも(笑)

麒麟がくる」の藤吉郎は非常に抜け目ないし
ズルが頭に付く賢さを持ってそうな気がして
いまいち信用できない私がいます。
京では十兵衛を監視して
その行動をしっかり把握していたし
公家の動向についても目を光らせてますよね。
十兵衛が信長さまに呼ばれて美濃へいく際にも
美濃行きの理由を探ろうとしていたし
表向きの言動とは別に裏では何か
企んでいそうな雰囲気を持っているのが
麒麟がくる」の藤吉郎なので
十兵衛ほどあっさり話の内容を
信用できませんでした。

まぁでも脚本上設定された「麒麟がくる」の
世界には存在する妹なのかもしれないし
素直に信用していた十兵衛を
見習わないといけないのかもしれない
そんな事を思わされたシーンでしたね(笑)

1.3.織田信長撤退からの学び

スルーされた朽木谷
金ヶ崎からの織田信長の撤退経路
金ヶ崎の退き口で朽木谷越えが
なかったかのような扱いに。
尺の関係があるし主人公の十兵衛は命がけで
殿を務めているような状況なので
詳しくはやらないにしても
ナレーションで軽く触れるぐらいは
あるかな~と思っていたのに
一言も触れられない上に
地図にも出てこないっていう(笑)

朽木谷は、以前足利義輝が京を追われた際に
逃げ込んだ場所として「麒麟がくる」でも
出てきた土地です。
十兵衛が斎藤家と同盟を結んだばかりの織田家
今川家の戦の停戦を足利義輝にお願いするために
当時の隠れ場所であった朽木谷を訪れました。
この朽木谷を治めているのは朽木元綱
tsukumogatari.hatenablog.com
父・晴綱が元綱が2歳の時に戦死していて
その時から家督を継いでいます。
ちなみに朽木元網の母は飛鳥井雅綱の娘。
飛鳥井雅綱は前述した飛鳥井雅敦の祖父。
つまり、朽木元網の母は飛鳥井雅敦の叔母。
戦国時代のことを調べていると
こうしていろんな人の繋がりが見えてくるのが
面白かったりします。

そんな朽木谷を守る朽木元綱
金ヶ崎から撤退して
京を目指していた信長さまを
最初は殺そうとしていたらしいです。
しかし京への撤退に協力するように
元網を説得したのが松永久秀
松永久秀の一つの見せ場になるのかなぁ
なんて思ってただけに、
この辺の話が一切無く、
朽木谷をあっさり超えてしまったのは
ちょっと寂しい。
信長公記」にも朽木元網の奔走のおかげで
朽木谷を越えて京へ戻れたことが
書かれているんですけどね。
これでまた残念なことに
朽木元網のマイナー脱却はならず(笑)

信長さまが将軍につきつけたという5か条の覚書
越前から織田方が退いたことを足利義昭に報告する摂津晴門
足利義昭織田信長の関係に
なんかちょっとヒビが入り始めているのは
摂津晴門が言っていた5か条の覚書が原因か。
いわゆる「殿中御掟」というやつですが
永禄13年(1570年)1月に信長さまが
突きつけたのは追加の5か条で
実際には上洛した翌年の
永禄12年(1569年)1月14日に
「殿中御掟9か条」
さらにその2日後の1月16日に
追加で7か条を承認させています。
つまり5か条の覚書も加えると
全部で21か条あるんですよね。

今回の追加の5か条は
それまでのものよりも将軍の権力を
厳しく制限するものであった一方で
信長さまは将軍の許し無しで何でもできる
という、一見すると足利義昭を傀儡将軍に
仕立て上げるための条文のようにも見えます。

Wikipediaに掲載の現代語訳は以下の通り。

  • 諸国の大名に御内書を出す必要があるときは、必ず信長に報告して、信長の書状(副状)も添えて出すこと。
  • これまでに義昭が諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定めること。
  • 将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合をつけるようにすること。
  • 天下の政治は何事につけてもこの信長に任せられたのだから、(信長は)誰かに従うことなく、将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えるべきである。
  • 天下が泰平になったからには、宮中に関わる儀式などを将軍に行って欲しいこと。
引用:殿中御掟追加5か条

ところがこの条文自体は信長さまと足利義昭
両者で話し合った結果まとめられたもので
室町幕府の先例や規範に従った内容とも
言われています。
かつてのように将軍の御内書が濫発されたり
幕臣の寺社横領が行われることによって
天下が乱れることを危惧して
このような条文が纏められたとも。
要するに摂津晴門対策でもあるわけですね(笑)
信長さまは帝から天下静謐のために励め
言われてますから、そういう意味でも
必要な条文だったということでしょう。

なので実際にはこの条文で両者の関係が
悪くなったということはなく
両者の間に決定的な亀裂が入ったの
後々信長さまが提出する
十七箇条意見書だと言われていますが
もう少し先の話ですね。

殿を務めたことを信じてもらえない藤吉郎
殿を務めたことを誰にも信じてもらえないと十兵衛に泣きながら訴える木下藤吉郎
これも前述の話と少し被るんですけど・・・
十兵衛が藤吉郎の話を鵜呑みにし過ぎでは?
とちょっと思ってしまいます。
誰も殿を務めたことを信じてくれないという
藤吉郎の言葉、
半分本当かもしれないけど
もしかしたら柴田勝家たちは藤吉郎を
いつものように?からかっていただけ
なのかもしれません。
まぁそれじゃただのイジメだけど(笑)

十兵衛が怒り心頭で怒鳴り散らしてた時に
柴田勝家「いや・・それは・・・」
の後になんて言いたかったのかは
ちょっと気になります。

そもそも藤吉郎のことを
私は非常に怪しい目で見ているので(笑)
本能寺の変の原因に起因する何かと
絡んできたりするのでは
とか考えながら藤吉郎を見張っています(笑)

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

足利義昭と織田信長 (中世武士選書40)

足利義昭と織田信長 (中世武士選書40)

  • 作者:久野雅司
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
池田勝正 - Wikipedia
日野輝資 - Wikipedia
飛鳥井雅庸 - Wikipedia
殿中御掟 - Wikipedia

2.あとがき

撤退戦の最中生きて帰ることを誓い合う明智十兵衛光秀と明智左馬助
麒麟で学ぶ」第31回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。

信長さまにとってはこれからが正念場。
第一次、第二次の信長包囲網が布かれますし
特に第二次では甲斐の強敵武田信玄
牙を剥き始めますしね。
そして足利義昭も・・・。
十兵衛はこういった情勢の中で
どのような判断を重ねていくのか
一体いつ織田家の家臣になるのか(笑)、
見所は沢山ある気がするけれど
やっぱり尺足りてないじゃないか?
と感じてしまう今日この頃。

そういえば、左馬助の甲冑が
有名な兎耳に月の兜でしたね!
撤退戦の殿として踏ん張る明智左馬助、その兜は兎の耳
あれは和製南蛮胴具足ってやつで
南蛮渡来の鎧兜を模してつくったか
それをベースに改造したものです。
当時左馬助が本当に着用してたかは
少し怪しいけど(笑)、
裏方で活躍しまくりなのに
あまり目立ってなかった左馬助なので
脚光を浴びれる機会ができて良かったw
是非琵琶湖の湖水渡りやってほしいな~!

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


by ヨメレバ

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: ムック
 

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:あさくらかげのり、またはかげとし、かげただ

*2:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*3:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*4:信長の野望ベースなら享年23歳。

*5:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*6:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*7:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*8:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*9:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。

*10:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。

*11:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。