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八月の真夏、猛暑日が続く中
早朝まだ真っ暗な中を出発し向かったのは
三重県度会郡多紀町に鎮座されます
皇大神宮別宮 瀧原宮へ
途中、有り難いことに雲が出てきてパラパラと雨が降り出しました
瀧原宮へ着くと雨も止み、しっとりと清らかな氣を感じました。
伊勢神宮の別宮で、倭姫命の御巡行の途中で
お祭りされた宮地であったとされています。
現在でも、遙宮として崇敬されております。
御由緒書
瀧原宮、瀧原並宮のご鎮座の由緒は大変古く、『倭姫命世記』によると約2000年前まで遡るそうです。
第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代として天照大御神を奉戴して、ご鎮座の地を求め宮川下流の磯宮をお発ちになり、上流の方にお進みになると、「大河の瀧原の国」という美しい土地があり、この地に二宇の宮殿を造立されたのが起源とされます。
このとき、宮川の急流に困られたご一行を真奈胡神がお出迎えをしてお渡ししたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をまつる御瀬社をお定めになりました。これが今の皇大神宮摂社多岐原神社です。
このとき、宮川の急流に困られたご一行を真奈胡神がお出迎えをしてお渡ししたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をまつる御瀬社をお定めになりました。これが今の皇大神宮摂社多岐原神社です。
瀧原宮の下流約6km、大宮町三瀬川の宮川のほとりに鎮座されています。そこには近年まで熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。
瀧原宮は『皇太神宮儀式帳』には「天照大御神遙宮」、『延喜太神宮式』には「大神遙宮」、「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十里」と記されているなど、その歴史の深さがうかがえます。(神宮HPより)
瀧原宮は『皇太神宮儀式帳』には「天照大御神遙宮」、『延喜太神宮式』には「大神遙宮」、「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十里」と記されているなど、その歴史の深さがうかがえます。(神宮HPより)
神域内の樹齢数百年を越える木立に囲まれた参道をゆっくりと歩き、神橋を渡り御手洗場の川へ向かいます
心身共に浄化され癒されました
ここを訪れる度に、全身を祓い清められ清々しい気持ちになります
新御敷地とも言われます。
古殿地とは、遷宮後の以前に社殿が建てられていた土地のこと。
およそ半年ほどは「古殿地」と呼称されるそうです。
遷宮後、半年を過ぎた頃からは呼び方が変わり「新御敷地」(しんみしきち)と呼称されます。
次に新しい社殿が建つ予定の「御敷地」だからだそうです。
この「古殿地・新御敷地」に、ポツンと小さな小屋が建っておりますが
この場所には以前の正宮の御正殿があった場所で、次の遷宮の際には新しい御正殿が
小さな小屋の上に建つことになります。
御船倉を持つ別宮は、瀧原宮のみとなります。
順にお参りさせていただきました
瀧原宮
ご挨拶、日々の感謝等をお伝えさせていただきました(。-人-。)
力強く聳え立ち、とても立派です✨
今回は、ほんの少しの間だけそっと触れさせていただきました(。-人-。)
ご挨拶、日々の感謝等をお伝えさせていただきました(。-人-。)
今回も、「御前滝」の流れを拝見させていただくことが出来ました
若宮神社、長由介神社も参拝させていただきました(。-人-。)
いつ訪れても、心地よい氣で満たされる
清らかで清浄な場所です。
御縁を深く強く繋いでいただいていることに
改めて感謝いたしました(*v.v)
神恩感謝
富貴水月
いつもありがとうございます✨