中学三年生の時だったと思います。

父の工場が倒産しました。

どれほどの借金を抱えたのかは教えて貰えませんでしたが、多分それなりの額だったのではないかと思います。

休日出勤の件で仲が悪くなっていたきみえさんは、倒産すると急に前の様に仲良くしてくるようになりました。

きみえさんは自分より幸せな人が嫌いで、他人の不幸が楽しい人です。

なので、父が経営に失敗してうちがますます貧乏になった事が楽しかった様です。

前のように毎週末うちに来るようになりました。



ですが、ゆみこさんは嫌そうでした。

今から行くよと電話があっても、途中でゆみこが泣き出したから今日はやっぱり行かないと連絡があったり、きてもゆみこさんの目が真っ赤だったり。

きみえさんが茨城から帰ってからゆみこさんは少し不安定なように見えました。

今まで姉のように慕って憧れていましたがなんだか話しかけ辛くなり、この頃からあまり話をしなくなりました。

わたしはこの倒産からの一連のストレスで、70㎏あった体重が半年程で55㎏に痩せました。

制服がぶかぶかになり、でも3年生だし買うのも勿体ないと我慢したことを覚えています。





学校ではというと、相変わらずスクールカースト上位の子達から気持ち悪がられながら痛いバンギャの道をひた走っていました。

そうしているうちに進路を決める時期になります。

田舎ですので地元には選ぶほど学校はなく、大半の子達が行く高校は決まっていました。

わたしはその学校よりも、今までのわたしを知らない子達の中で出直したいと思っていましたが、中学でせっかくできた友人達はみんなと同じ地元の高校へ行くと決めていました。

悩みましたが、違う高校で上手くやっていける保証はないし、みんなと同じ学校へ決め、推薦で入学しました。





高校が決まった時、父がわたしに言いました。




「もつこが高校出て就職したらいくら給料貰うのか、それが今から楽しみなんだ」




わたしの給料を当てにしているとも取れる発言で、心に嫌なものが広がりました。

大学に行けるとは思っていませんでしたが、もし会社の倒産が無かったとして、果たしてこの親はわたしを進学させる気があったのだろうか。

その気があったなら度を過ぎたパチンコなどしないのではないか?

やっぱり父はわたしのことを大切になんか思ってないのでは?




「わたし大学には行けないんだね」




思わず言ってしまいました。

返ってきた返事は、




「え、そりゃ行きたいなら行けばいいけど」




え、行けるの?

もしかして、わたしの学費は少しづつ貯金してあったりするの?



この人にも人並みに娘を思う気持ちがあったのかもしれない、そう思いました。









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