そんなこんなで自分から全てを遠ざけて友達がゼロになったわたしは、1ヶ月で転職し別のショッピングモールの洋服店で働きます。

ライブに行くため、休みが固定でないシフト制の仕事に変わったのです。


9時のオープンから夜7時半のラストまで働き、給料は日給五千円。

面接で日給五千円とは聞いていましたが、労働時間がオープンラストとは聞いていませんでした。

面接で何を聞いたらいいかなどまだよく分かっていなかったし、他人の言うことに頷くしかできないわたしには異議を唱えることも出来ませんでした。

時給にしたらいくらになるんだろう…なかなか違法な個人経営のお店でした。

当時叔母に労働基準法違反では無いだろうか、と相談したことがあります。

すると叔母には、そんなこと言って、また辞めるんでしょ!他に働くところなんかないんじゃけ、何も考えず働きんさいや!と声を荒げられました。



確かに最初の仕事は1ヶ月で辞めているので自業自得ですが、そんなふうに言われると思って無かったのでかなりショックだったのを覚えています。

わたしの趣味に寛容で理解のある女性オーナーでしたし、面接を受けたり、新しくたくさんの他人と触れ合うような事は精神的にもう苦しかったし、何より叔母に叱られたくなかったので、その店で働き続けました。

結局この店に4年半くらいいたと思います。




今思えばこの4年間が自分の人生で1番楽しかった。




叔母は家には3万円入れてくれればいいよ、と言ってくれ、残りは今まで欲しくても買えなかったお洋服や音源、音楽雑誌を買い、理想とまではいかずとも、それなりに楽しいバンギャ生活でした。

叔母もそんなわたしの趣味を理解してくれ、わたしの本命盤を一緒に応援してくれました。

そうするうちに叔母も沼にハマり、彼女自身もGacktを好きになり応援するようになりました。



そしてライブも少し遠征するようになりました。

1回のツアーで、地元の広島とファイナルの関東、余裕があれば大阪や福岡、名古屋。

ひとつのツアーで数箇所行く、というのはずっと憧れだったので、初めての遠征時はとても嬉しかったのを覚えています。



ただ、わたしには当時友達がいませんでした。




1人で行く度胸もなく、必然的に叔母と一緒、となりました。

ライブに着ていく服も遠征費もチケットも常に二人分。

出費はかさみましたが、叔母はいろんな地方に行くのが楽しそうで、田舎では目立つわたしの趣味を許してくれてるんだから…という意味でも一緒にライブに行っていました。




そんな生活が、4年半続きます。








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