義務教育は誰のため?不登校YouTuber『ゆたぼん』の記事を読んで思うこと。

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数カ月前に「不登校YouTuber」“ゆたぼん“こと中村逞珂くんの記事を見て初めて彼の存在を知りました。現在チャンネル登録者数が約6万人いるそうで、みんなが注目している少年と言えます。自ら「学校に行かない」と決め、ご両親も「本人の意思に任せている」と小学校に行かない生活を送る10歳の少年。

昨日また彼のことがネットニュースになっていて、その生き様に世間がかなり反応していました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190710-00010000-abema-soci&p=2

批判的な意見が目立ちましたが、なぜ批判が相次ぐのでしょうか?

学校の目的は勉強だけではない

ネットニュースの本文下にそのニュースに対する読者のコメントが寄せられているのですが、そこを見ると「義務教育」という言葉や彼の将来を案じる意見が散見されました。

嫌なことをせず、好きなことだけをする。
楽しいし、幸せだと思います。
今は親が守ってくれるから。

嫌われてでも、子供のためにしなければいけないことが親にはあると思います。
学校に行くのは、勉強のためだけではないことをもう一度考えてもらいたい。

これに似たコメントが多数あり、「学校へ行くのは勉強のためだけではない」という意見を持つ方がかなりいらっしゃいました。

私もその意見に賛成で、進学するうえで勉強は確かに大切だけれども、それよりもっと前の段階…友達との関係をどう構築していくか、先生など目上の人に接する時はどういう言葉遣いや態度がふさわしいのか、人を傷つけ・自分が傷つけられた時の後味の悪さや対処の仕方…挙げればキリがありませんが、生きていく上で他者との関係構築は必要不可欠なものなので、それを提供してもらえる環境にいるのに自ら放棄してしまうのはなんだかもったいないな、と思ってしまいます。

学ぶ機会を失うということを10歳の子供がどこまで理解しているのか不明ですが、世の中に「若い頃にもっと勉強しておけば良かった…」と悔やむ大人が結構いるを見ると、何かの機会にこの子もそう思うときが来るのだろうと思います。

義務教育期間なのに行かなくてもいいの?

『義務教育』と聞くと「少なくとも中学校までは子供は学校に行かなければならない義務がある」と誤解している人が非常に多いのですが、実は義務は子供ではなくその子供の保護者に発生します。

学校教育法第二十二条

保護者(子女に対して親権を行う者、親権を行う者のないときは、後見人をいう。以下同じ。)は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から、満十二歳に達した日の属する学年の終りまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子女が、満十二歳に達した日の属する学年の終りまでに小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了しないときは、満十五歳に達した日の属する学年の終り(それまでの間において当該課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終り)までとする

保護者には「子供に教育を受けられる環境や機会を与えなければならない義務」があり、子供には義務はありません。子供に与えられているのは「教育を受ける権利」です。

通学することに特段の事情もないのに、子供が学校へ行きたがっているにも関わらず保護者が行かせないことは法律違反になりますが、ゆたぼんくんの場合は本人が自らの意思で「行かない」と決めているわけなので親に「学校に行かせなければいけない」という義務はないということになります。

この記事に対して批判が相次いでいるのは「学校に行かなきゃいけない年齢なのに行かせていない」ということではなく、「将来を見据える力は10歳の子供にはまだ乏しいのに親がそこをきちんと教えていない」というところに集中しています。

私も初めてこの少年の存在を知った時に、子供の意思を尊重、という名の虐待では?と思う部分もありました。子供の期間より大人でいる期間の方がはるかに長い。大人になって必要最低限の学力や常識がなければ社会に通用しない。今はYouTuberがちやほやされている時代かもしれませんが、今後もそうなのでしょうか。いずれそれが通用しなくなった時のことまで見据えているのでしょうか。

好きなことを子供にさせつつ学校にもきちんと通わせるという選択をしているご家庭が大半だと思いますが、それにはそれ相応の理由があります。私は日本人特有の「横並び万歳。異は排除せよ」と言う気はさらさらないのですが、行かない理由とそれを止めない両親には若干違和感を感じてしまいました。よく言えば「理解のある両親」ですけどね。。。

批判の裏側には羨ましさも潜んでいる?

今の大人が小さかった頃は「学校に行かなくてもいい」というような発想はほとんどなく誰もが行くものとして過ごしていました。もちろん行きたくない日や、何で行かなきゃならないんだと思う時期は誰にでもあったでしょう。でもそれを乗り越えて今に至り、したくもない仕事やストレスを溜めつつ毎日一生懸命に生きています。

誰もが好きなことだけして毎日を過ごしたいと思っているけれどそれができないのは好きなことだけして稼げる手段がない、という一言に尽きるのではないでしょうか。

だから好きなことをして稼げている、たかだか10年しか生きていない少年やその両親に嫉妬する気持ちが、ストレスを溜めながら頑張っている分だけ大きくなり匿名性を利用して攻撃のようになるのではと思います。

確かに努力に努力を重ねて何かをしているわけではないかもしれませんが、「世の中そういう人もいる」で終わらせればお互いに嫌な気持ちを持たずに済むのにな…と個人的には思います。

10歳の子供の将来を案じるフリして攻撃を仕掛けることこそ、ゆたぼんくんを傷つけ引きこもりのようにしてしまわないかと一部のコメントには矛盾を感じています。

まとめ

義務教育期間中に学校へ通うことの大切さやそこから得られるたくさんの喜びや達成感を私は子供達に伝えてあげられているのか、考えるきっかけになりました。「行くのが当たり前」と私も子供達も思っていると思うので、ゆたぼんくんが持ったような疑問を子供心に持ちながら毎日を過ごしているのか聞いてみたいと思います。

義務教育は親が世間体のために子供に行かせるものではないので、子供自らが行こうと思わない限りは難しいですよね。義務教育は、子供の将来のために必要なことなので行かないより行った方がいいとは思いますが、このような選択もあるんだな、と参考にはなりました。

10歳の子供の「学校に毎日行かない」という意思を受け入れ応援しているご両親。自分の子供に同じことを言われたら「自分の将来のために学校に行きなさい」と私は絶対言ってしまうと思うのですが、子供の気持ちにどこまでも寄り添って受け入れてあげられることはすごいことだと思います。「子供が言うことだから…」と丸め込んでしまおうとする傾向が大人にはありますが、一人の人間の意思として聞いてあげているところが他の人には真似できないところだと思います。

「不登校は不幸じゃない」とのメッセージを発信し続けるゆたぼんくん。

20歳、30歳を迎えたときにも同じことが言えているといいですね。

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