わたしはこんなに○○しているのに | 記憶の欠片(ピース)

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病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

表題のとおりですが「わたしはこんなに○○しているのに……あの人は全然」と来て、あとに「やっていない」「分かってくれない」というような否定的な感想が続くという思いを抱えている方、いらっしゃいますか。

 

これは多くの人によく見られる心情ですが、今、新型コロナ関連で起きるいろいろな騒動でこういう場面が多く見られていますね。

 

感染対策の為に行われる施策は、経済行為に与える影響も大きいため不満が方々からあるようですし、「○○しろ。という強制は人権(権利)の侵害だ」というような意見も多いです。

人間は基本的に自由を追い求めているので、もし生活に支障が無いのだったら誰も他人の言うことに従いたがらないでしょう。

生きていくため、社会生活を円滑にするためというような理由で最低限のルールにのみ従うという人がほとんどだろうと思います。

 

まあ、ただ、現状の世界は下手をすると自由と引き換えに病気をもらってしまうところが悩みですね。

 

「わたしはこんなに頑張っているのに分かってもらえない」というような心情から来るストレスは、いろんな場面で見られます。

介護や子育てなどでも見られますね。こういう場合、あまりストレスを溜めると、他害や自傷などの残念な事態を招くこともあります。

新型コロナ関連でいうと、「正義は我にあり」という感じで、ルールを守らない相手を執拗に責める事例も出現したりします。

 

決まり事をきちんと守り実行する人は正しい人です。ですがそれを理由に必要以上に他人を責めることはするべきではありません。

世の中の人がすべて同じ考えの基に同じ行動をするということは、ふつうはあり得ません。

善くも悪くもある程度「想定外」の行動をする人はいるものであって、それをなくすことは物理的に難しいのです。

人間の多様な考えの中で、自分の行動を「絶対の正義」と思い込まず、柔軟に考えることが重要です。

「必要なら自分の判断でそこを離れる」というのが正しい方法だと思います。

 

危険からは離れ、様子を見てまた利用するか考えるということでしょう。