石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

仙台城(宮城県仙台市)  独眼竜政宗の城

かの「独眼流」伊達政宗の居城だった仙台城関ケ原の合戦後に築かれた城は意外にも山城で、特に東と南は断崖絶壁。完全に戦闘向きの城でした。麓から歩いて疲れたよ~

日本100名城

2019年1月登城

満足度:★★★★ 

 

歴史

関ケ原の合戦後、政宗は千代(仙台)に築城を開始し、1603年に岩出山城大崎市)から移りました。仙台城青葉山の上に造られ、南は竜の口渓谷、東は広瀬川によって守られた要害でした。ちなみに政宗は1628年に平地に仙台屋敷(若林城)を築き、晩年を過ごしました。山城は不便だしね。

1638年に2代目忠宗は麓に二の丸を築き、以後政務の中心は二の丸になりました。現在は東北大の川内キャンパスになっていますね。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

・JR仙台駅から観光シティループバス「るーぷる仙台」で22分、「仙台城跡」で下車。ぐるっと一周するので、「仙台城跡」から仙台駅へは48分かかります。時間によってはギューギューです。

地下鉄東西線の国際センター駅から本丸入口(詰の門)まで徒歩15分。途中から坂道で、他に歩いてる人はあまり見かけません(車は普通に通ってます)。

 

城歩き

案内図

f:id:castle_walk:20191215073400j:plain

地下鉄東西線の国際センター駅から大手門ルートで城にむかいました。

 

大手門跡

f:id:castle_walk:20191215062805j:plain

この広い道路を塞ぐように2階建ての櫓門が建っていましたが、1945年の仙台空襲で焼け落ちました。残念。

 

大手門脇櫓(復元)と門北側の土塀

f:id:castle_walk:20191215065201j:plain

f:id:castle_walk:20191215065842j:plain

大手門脇櫓も空襲で焼失しましたが、1967年(昭和42年)に復元されました。土塀は焼失を逃れ、仙台城で唯一の建築物です。狭間が無いんだな。

 

中門跡

f:id:castle_walk:20191215071318j:plain

坂道の途中にある中門跡。道路が大きく湾曲したところに、2階建ての櫓門が建っていました。
 

 

本丸北壁の高石垣

f:id:castle_walk:20191215081902j:plain

f:id:castle_walk:20191215081912j:plain

f:id:castle_walk:20191215114411j:plain

天然の要害を利用した仙台城において、圧倒的な存在の高石垣。全く隙間なく積まれており、角の部分は特にソリッドさを感じます。本当にこの石垣は凄い。

イメージ図

f:id:castle_walk:20191215115705j:plain

詰門から本丸に入ります。イメージ図を観ると、仙台城の堅城さが改めて理解できます。二の丸が三の丸より遠いのが、少し不思議に感じられますね。

 

本丸広場と大広間跡

f:id:castle_walk:20191216071021j:plain

f:id:castle_walk:20191216071029j:plain

本丸が本当に広い。大広間は約430畳の広さだったとのこと。あまりに広すぎて、「何も無い?」という観光客の声もちらほら。


 

伊達政宗

f:id:castle_walk:20191216072340j:plain

観光客の9割以上が写真を撮っている伊達政宗像。兜の三日月がとても格好いい!

実はこの像は2代目とのことで、初代は麓の仙台市博物館の庭にあるそうです。残念、見そびれた。

 

土井晩翠

f:id:castle_walk:20191216215818j:plain

土井晩翠は仙台出身の詩人・英文学者です。「荒城の月」の作詞者で、仙台城はそのモデルと言われています。

 

石垣下の眺め

f:id:castle_walk:20191216230113j:plain

f:id:castle_walk:20191216230131j:plain

見晴らし抜群。仙台は都会だな。上から見ると、改めて本丸が高い位置にあることを実感します。高所恐怖症の人は無理。

 

巽櫓跡

f:id:castle_walk:20191216230908j:plain

本丸をグルッとしてみました。巽櫓は南東部に建てられた三重櫓でしたが、1646年の地震で倒壊しました。実は仙台城って、結構地震の被害を受けています。

 

埋門跡

f:id:castle_walk:20191217221142j:plain

ただの山道に見えますが、瓦葺・平屋建ての門が建っていました。外部からは左に曲がって右に曲がる必要があり、防御性の高い構造になっていました。

 

切通

f:id:castle_walk:20191217223119j:plain

本丸外部沿いの道路を歩いてみました。谷を削った切通を道路が続いていきます。この道路は歩道が無く、車とすれ違うたびにヒヤヒヤしました。危険危険。

 

酉門跡

f:id:castle_walk:20191217232809j:plain

酉門は本丸西側にありました。巽櫓と同じく1646年の地震で倒壊したと考えられています。どんなに大きな地震やねん。



沢門跡

f:id:castle_walk:20191217234533j:plain

どんどん下っていきます。このまま下ると大手門跡に至るので、途中の沢門跡で三の丸方面への道に入ってみました。

 

三の丸への道

f:id:castle_walk:20191217234703j:plain

道は側面攻撃できるように大きく屈曲しています。ただ、冬の夕暮時は人も車も通らず、少し寂しい。

 

清水門跡

f:id:castle_walk:20191221041121j:plain

三の丸への途中にあった清水門跡。2階建ての櫓門が建っていたらしい。名称の由来は、門近辺に御用酒造りに使われた清水が湧いていたことから。

 

造酒屋敷跡

f:id:castle_walk:20191221042039j:plain

城内の醸造場所とされる造酒屋敷跡です。城内で酒造りって、どんだけ酒好きやねん(笑)。ちなみに伊達政宗は酒癖が悪かったらしいです。

 

巽門跡出入口

f:id:castle_walk:20191221045557j:plain

三の丸の南側には2階建ての門がありました。巽門を通って沢門を抜けるこのルートが築城当初の登城路だったと考えられています。

 

子門(ねのもん)跡

f:id:castle_walk:20191221060313j:plain

三の丸北側の子門跡です。かつて2階建ての門がありました。

五色沼

f:id:castle_walk:20191221083039j:plain

子門跡を出て左にある五色沼。もちろん当時は堀の役割を果たしていました。

明治時代に第二高等学校生がドイツ語講師ウィルヘルからスケートの指導を受け、その後普及に努めたことから、「日本フィギュアスケート発祥の地」と言われています。そう言えば、メダリストの羽生結弦選手や荒川静香選手は仙台出身でした。
 

感想

関ケ原合戦後に築かれたのにも関わらず、仙台城って山城だったんですよね。独眼竜政宗の野望を感じさせてくれました。石垣好きは本丸北壁の高石垣は必見ですぞ。

 

グルメ

f:id:castle_walk:20200503145435j:plain

牛タン専門店の司の牛タン。肉厚でサクッとした歯応え。ジューシーで脂が乗っていてうまい!