峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

『令和の開拓者たち⑪  絵師 村林由貴』(『文藝春秋』6月号)を読んで...

2020-05-18 08:39:36 | 絵画
 
『文藝春秋』6月号に、ノンフィクション・ライター 近藤雄生さんの記事、
   
『令和の開拓者たち⑪』
『絵師 村林由貴』(354~363頁)
が掲載されました(写真は、吉田亮人さん)。
   
この記事は、2011年4月にはじまった『退蔵院方丈襖絵プロジェクト』を、絵師として中心になって担う絵師村林さんの格闘を、プロジェクトにかかわるさまざまな人間の視点から浮かび上がらせるもの。
   
プロジェクトの始まりの頃に、半年間舞台となった妙心寺退蔵院に徒弟として身を置き、プロジェクトの現場をよく知る一人として、今回のこの紹介は、とても嬉しく思います。
   
詳しくは、プロジェクトの背景から現実の展開までの流れを綺麗に整理してくれているこの記事をじっさいに読んでいただくとして、このプロジェクトがどんなに凄いものなのか、プロジェクトが凄いだけ、それだけ中心にいてそれを担う村林さんが乗り越えなければならない重圧がどれほど圧倒的なものなのか、この記事は見事に描きだしています。
   
そもそも村林さんが描くことになっている退蔵院の襖絵というのは、桃山から江戸初期にかけて活躍した絵師 狩野了慶の作で、400年以上にわたって名刹退蔵院に秘蔵され、国の重要文化財となっているもの...
この重要文化財となっている襖絵の後に、そのかわりとしてこれからの新たな数十年、数百年の時の流れの中に行き続けるべく生み出される作品...それも、76面!
  
忘れてはならないことは、方丈というのはお寺の宗教的な営みの中心にあるものだということ...
この場所に信徒は集い、手を合わせて頭を垂れ、住職は五体投地をして全身で祈りを捧げる場所だということです。ただ、優れた絵が入ればいいというのではないのです(それだけでも大変なことなのですが...)。
完成された絵は、祈りの場に相応しいものでなければなりません。
そして、絵師である彼女には、禅寺の方丈に相応しいものであることも求められています。だから彼女は、絵を描きながら、修行僧たちがじっさいに研鑽を積む本格的な道場(三島の龍澤寺...ここは山本玄峰老師、中川宗渕老師ゆかりの、修行僧にとっても憧れの道場です)に足を運び、修行僧と同じように坐禅堂に坐り、同じ修行の日課をこなし、道場の老師の室を叩いています。
   
近藤さんの記事は、現場にいた私の印象を見事に再現してくれています。
若い、どちらかといえばふんわりと柔らかいイメージの女性が、水墨のことも禅のこともそれほど知らないで...だからこそ、いわゆる「禅」風の手垢がついたステレオタイプではなく、活きた日常の現場を通じて知る生の姿を通して、新鮮に、柔軟に、敏感な感性を通して禅というものを知ることが出来るのですが...単身禅寺に飛び込んで住み込みをする。
禅寺の日常を私たち徒弟たちと一緒にこなし、食事を共にし、強い絆に結ばれたお寺の一員となって起きていくことのすべてを体感し、そのうえで創作に努める。
作品以前に、一般の人からすれば異世界である禅寺の日常に自分を合わせ、修行道場に足を運んで修行の現場を身体を通じて知り...これだけでも並大抵のことではありません。
  
そして、そのうえに、製作の重圧があります。
重要文化財に指定される優れた作品...400年以上の歴史を閲した狩野派の傑作の後釜として、そのかわりとなって新しい時代を生きていく作品。それも76面という規模。
襖の紙から、筆、墨、硯に到るまで、現在考えられる最高の道具を揃え、大勢の職人・専門家たちの力を借り、すべてを総動員で揃えてのプロジェクトです。
この責任が、すべて一人の若い絵師の肩にのしかかってくるのです。
   
この様な役割は、はっきりと言って、普通の人には不可能だと私は思います。
絵が上手い、と言うだけでも、かなわないかと思います。
絵師の村林さんは、それが出来る。
じっさい、九年にわたってその重圧を担い続け、壁に突き当たり、跳ね返され、そのつど壁を乗り越え、あるいはぶち破りながらずっと続けてきているのです。
近藤さんのこの記事から浮かび上がってくるのは、損得も保身も考えないで、ただ直向きにまっすぐ進む一人の人間の姿と覚悟です。「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉がありますが...身も心も惜しいとは思わないで、すべてを投げ出して挑む村林さんの姿は、「禅の理解」という薄っぺらい言葉ではなく、絵師として禅を生きると言って良いかと思います。
   
「恐れを知らず」という言葉がありますが、じっさいには恐ろしいものです。
恐ろしさを知らない者は、愚かでしかありません。だから、そんなものはじつはたいしたことはありません。
本当の意味で「恐れ知らず」というのは、本物の怖さを知り、恐れをひしひしと感じながら、それでも目の前に為すべきことがあるならば、すべてを捨てて身を捧げる...そういうことを言うのです。
だから、身を捧げ、命懸けでやらねばならないもの、こころの底からやらずにはおかない、と湧き上がってくる何かを持っている者だけが、恐れ知らずの者に成ることが出来る。そういう者こそが、「令和の開拓者」には相応しい。
   
だから、近藤さんの記事に活写されているように、周りの人間はこの恐れ知らずの若い女性に応えなければならないのです。絵を描く本人には、ほどほどの安全なところに収めてくれるようなつもりは微塵もないから、危険な賭けを繰り返しながら、持てるもののすべて、これから持つはずのものすべてを振り絞って描ききる以外には選択肢は選びようもないから、周りにいる人間も、彼女があるいは全身でぶつかって崩壊し、砕け散ってしまう可能性も覚悟しながら、あるいは引き摺られながら一緒に行くしかないのです。
これをやる、と言ったんだから...そして、私を選んでくれたんだから、覚悟して下さいね...
と声が聞こえるように、私は思います。
    
優れた技能と才能をもつ若いクリエイターが沢山いる...
だから、お寺の襖絵には、そうした人に作品を書いて貰おう...そんな話ではないのです。ましてや、有名な作家に何か作って貰って、それで耳目を集めよう...などということではないのです。
根本に打算があっては、リスクをとるといっても所詮は限りがあります。
誰が何と言おうと、九年の歳月と、一人の若い優れた女性の人生を差し出し、そのうえで何事かを成し遂げようとするこのプロジェクトは、凄い、を通り越してある意味でクレイジーです。誰もが、もの凄い年月と労力を注いだこのプロジェクトに巻きこまれているのです。
そしてそれが、妙心寺塔頭の中でも屈指の名刹である退蔵院という存在が求める歴史と伝統の重みであり、現代の日本社会が取り戻さなければならない精神的課題が要求するものの巨大さなのではないかと私は思います。
   
「最後にすごいところまで村林は来ました。水墨の技術を身につけた上で、漫画やポップカルチャーの影響を生かして思想性を深めている。いまの時代にしか描けない、新しい水墨画になるだろうと感じています...」という、プロデューサーの椿昇先生(京都芸術大学)のコメントが、このとてつもないプロジェクトの有り様を見事に表現しています。
     
この記事の書き手、近藤雄生さんが何者なのか...
それはじっさいにお読みにあればわかると思います。
冷静な距離感を守り続けながら、どこまでも納得し、共感して物事を書いていく誠実さと、誇張を交えなくとも描き出す事柄の凄さが伝わる文章の冴えが、この人を特別な書き手にしているのだと私は思います。
同じように、誠実で繊細な、それでいて切れ味鋭い写真を撮る吉田さんの写真(残念ながら、グラビア写真ではない!)とともに、このお二人の仕事で、『退蔵院方丈襖絵プロジェクト』が紹介される...このお二人以外には、このプロジェクトと、そして絵師 村林由貴を描ける人はいません。このお二人もまた、ほんものの令和の開拓者だと私は思っています。だからこそ、同じ開拓者としてこのプロジェクトの凄さがわかり、共感することが出来るのだと...
私にとっても人生の最高の宝物であるこのプロジェクトに、こんな機会が巡ってきた...これほど嬉しいことはありません。
正真正銘の「令和の開拓者」たちに、はるか遠方、山梨からエールを送りつつ...
 
 


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