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DEATH STRANDING と「繋がり」

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※画像転載元:https://www.jp.playstation.com/games/death-stranding/


はじめに

2015年の12月にコジマプロダクションが設立されてから4年弱、ついに2019年11月8日にDEATH STRANDINGが発売します。「A HIDEO KOJIMA GAME」が帰ってきます。発売を来月に控え、数々のムービーが公開され、TGSでゲームプレイ映像が公開されるなど、少しずつ全容が明らかになってきました。

ノーマン・リーダス扮するサムが「DEATH STRANDING」により分断された世界を「繋いでいく」物語で、プレイヤー同士もアイテムや建築物などを介して間接的に「繋がる」ゲームシステムが採用されていることがわかってきました。

TGSのステージ上で小島監督も話していた「繋がり」この言葉が DEATH STRANDING の重要なキーワードのようです。

「繋がり」について……ではなく、まず、「A HIDEO KOJIMA GAME」に対する熱い思いをつづりたいと思います(笑)

 

 

A HIDEO KOJIMA GAME

「A HIDEO KOJIMA GAME」 は単なるゲームではありません。ストーリーが凝っているとか、キャラクターやデザインが良いとか、演出が素晴らしいとか、ゲームとしてのデキがいいとかそういう話ではなく、プレイヤーの人生感を変えるだけのエネルギーを持った作品です。(もちろん、ストーリーやゲームのクオリティが高くそれが説得力を増す要因になっている)「A HIDEO KOJIMA GAME」とは何かと聞かれたら「A HIDEO KOJIMA GAME」だとしか言いようがないと思います。

 

MGSPW と「平和」

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※画像転載元:https://www.konami.com/mg/archive/mgs_pw/jp/index.html

 

 
例えば(私が大好きな)「A HIDEO KOJIMA GAME」の一つであるMETAL GEAR SOLID Peace Walkerのテーマは「平和」です。誰しもが平和であってほしいそう願っていると思います。しかし、プレイヤーはこのゲームをプレイする中で「平和」についての矛盾をこれでもかと見せられることになります。

スネークはコスタリカに運び込まれた核を追い、核の発射を阻止して世界を核戦争の危機から救うのですが、最終的には自ら率いるMSF(国境なき軍隊)の独立性を確保するために核を保有し核抑止力を手に入れる選択をすることになります。

物語のキーになっている相互確証破壊・ピースウォーカー計画も矛盾に満ちています。相互確証破壊は対立する核保有国同士の一方が核を使えば報復が行われ双方が破壊しあうことになり、理論上、軍事的な衝突は起きないという考え方です。互いが銃口を向けあうことで戦争は起きず平和になる。
その状態を本当に平和と言ってよいのか?非常に矛盾に満ちた概念です。

そして、ピースウォーカー計画は報復攻撃の実行を人間の判断にゆだねるのは不確実であるから、その判断をAIに任せることにより、相互確証破壊が確実になる。恒久的な平和が実現されるという計画です。
しかし、それを実証するために核を放つ実験を行うことになります。
核が撃たれないことを証明するために核を撃つ。矛盾を感じます。

さらに、このピースウォーカー計画は第三者の工作によりアメリカ本土へ核を放つ計画に変更されてしまいます。元の計画の推進者のコールドマンは密かに人間の良心を信じており人間には報復の攻撃はできないと考えていましたが、本土への核攻撃を察知したアメリカの首脳陣は皮肉なことに報復の実行を決断をしてしまいます。

プレイスタイルにもよりますが、プレイヤーはゲーム中、銃を使い多くの兵士の命を奪っていくことなります。平和という言葉とは対極の位置にある行為です。

と長くなってしまいましたが、平和とその矛盾に対して考えることはゲームのクリアとともに終わることはなく、ずっと続いていきます。答えなんてないし、正解なんてない。一個人にできることも限られていますが、
それでも私たちは平和であってほしいと願い、どすればいいか考え、行動をしていかなければなりません。ピースウォーカーは私をそういった気持ちにさせてくれました。

このように、大げさに言えば「A HIDEO KOJIMA GAME」は人生を変えるだけの力があると僕は思っています。

 

DEATH STRANDING と「繋がり」

ようやく本筋に戻りますが、「繋がり」についてです。サムの使命はアメリカを再建するために、大統領になるアメリを救出すること、分断された各地を「カイラル通信」で接続すること。また、都市やプレッパーズ(都市から離れシェルターなどで生活している人)に荷物も運びます。サムは都市・人を繋いで行きます。人と人とを繋ぐ役割を担うサムなのですが、ゲームプレイの中で生身の人間同士の対面はほとんどありません。ポートノットシティに到着してカイラル通信を接続し、荷物を届けていましたが、人が出てきて歓迎するといったシーンはありませんでした。休憩スペースでも誰かが出てくることはありません。人と人を繋ぐサムですが、人に直接会うことは無い。この構図には何かもどかしさを感じます。

ポートノットシティの姿は何か現実の自分にも少し似通っているような気もしました。昔はよくゲームセンターに行って遊んでいました。直接交流はしなくてもなんとなく顔見知りだったり、連絡先なんかは良く知らないけど、話をしたりするような人もいました。今は一度も会ったことがない人とオンラインで通話しながらゲームをしたりしています。一緒にゲームを遊ぶ中で親しくなった人もいますが、その一方でマンションの隣人のことはよく知りません。直接人と触れ合うことは少なくなり、居心地の良いSNS等通じた趣味趣向が合う人たちとのコミュニティーに人との繋がりにシフトしてきました。

また、買い物なんかもネット通販で買うことが多くなりました。店頭に行く場合も、ネットで調べた情報を元に購入することが多く、店員の方と話すケースは減ったように思います。通販であれば、宅配業者の方に荷物を運んでもらいますが、サムもある意味では宅配業者と同じ立位置です。失礼な物言いですが、荷物を運んでもらうことには感謝こそすれど、宅配業者の人を歓迎することはなく、どうかすれば、そのまま宅配ボックスに入れてもらった方が楽だとすら思うことがあります。


IT技術やそれに伴う社会の変化によって我々の「繋がり」方は変化しています。個人の情報収集能力・発信能力が拡大され、簡単にコミュケーションが取れるようになった結果、「個」が強くなり、古くから続く「集団」は相対的に弱くなり、「各個人」にとって利益のある・都合の良い・心地の良い繋がりが求められ、それが実現できるようになってきているように感じます。

これは推測になりますが、DEATH STRANDINGの「ソーシャル・ストランド・システム」はこういった閉じたコミュニティとは正反対で、フレンドとプレイするようなオンラインシステムではなくランダムに選ばれた人と偶然の繋がりのようなものになるのではないかと予想しています。ゲーム性やゲームのストーリー設定からするとそちらの方が適していると感じました。ムービー中でサムも語っていましたが、「繋がり」は時として人を縛る鎖にもなりえます。ゲームの中では「繋がり」が「しがらみ」に変わりプレイヤーを苦しめる場面もあるのかもしれません。どういったゲームシステムになるのかとても楽しみです。

また、現実の世界が分断された一方、BTと呼ばれる死者?のような存在やハデス(地獄)といった空間が存在し、現実世界と繋がりがあることも明らかになっています。死は人と人との繋がりを隔てる大きな壁です。我々は死者と交流することはできませんが、デスストランディングの世界ではそれができます。公開されたムービーの中でママーが赤子のBTを指して「私の子」だと言っているシーンが印象的です。本来は死が分かつはずの関係が特異な現象により繋がりが続いている状態。どのようにストーリーが展開していくのか気になります。また詳しい仕組みはよくわかりませんが、サムはあの世と繋がっているBBの助けを借りることでBTを視認することができると言われています。生と死との「繋がり」もDEATH STRANDINGを考察する上で重要な要素になりそうです。

 

「繋がり」から生まれたゲーム

「繋がり」は大きな力になります。小島監督はこの「繋がり」をテーマにしたゲームを自身の「繋がり」で作り上げました。コナミからの退社は円満ではなかったはずです。そういった逆境から「繋がり」の力で作り上げられた「A HIDEO KOJIMA GAME」。作品だけでなく、そのバックグラウンドにも熱い物語を感じる素敵なタイトルだとTGSのステージを見て思いました。


私も「DEATH STRANDING」のゲームプレイを通して世界中のプレイヤーと「繋がる」日を楽しみにしています。

 

いやー楽しみだ。