【個性的な自分を好きになる】頭のなかに渋滞する考えを外に出す

個性的な自分が嫌いな人は、頭のなかで渋滞する考えを使って創造したり、平凡ではないが幸せそうな大人に出会って、目にうつる世界を広げたら良いよ、っておはなしです。

二重に浮かぶ虹、ハッピーレインボー

画像提供:Kumarokuさんによる写真ACからの写真


 高校1年生、はじめて“独創的”と呼ばれる 


わたしが初めて「独創的」と言われたのは、高校1年生のときでした。数学Aの期末テストにて、返却された答案用紙に書かれていたのです。「回答が独創的です。標準の回答も覚えてください。」とのメッセージが。

(先生って、答案用紙に、こういう個人的な意見みたいなメッセージを書くことがあるんだ)と、驚いた記憶があります。

(・∀・) 驚いた記憶はあるけど、標準的な回答を覚えた記憶はない。たぶん、先生のメッセージは、右から左へ流れた。

ちなみに、そのときの数学Aは学年でトップの点数でした。だから、(自分なりの考えで正解なんだったら、標準的な回答を覚える必要はない)と考えて、右から左に流れていったんだと思う。たぶん。

そのあと、いろいろあって、わたしは不登校になりました。自分には価値がないんだと考えて、苦しんでいました。先生に言われた「独創的」というメッセージも、「人と違うことをするな」って責められていると感じていたのです。


 「頭のなかに渋滞する考えを外に出す」を学ぶ 


あれから時間が流れて、社会復帰を果たし、大学に進学しました。大学時代には、不登校ひきこもりの支援に関わり、ひきこもり相談支援士という資格に合格。勉強するなかで、臨床心理士の先生から、セミナーでの公開カウンセリングを受ける機会がありました。

不登校のときの話や、考えかたに関しての公開カウンセリングです。参加しているのは、主に不登校ひきこもり支援者のかたがただったので、経験者であるわたしが選ばれた様子。

「自分の手が届かない2メートル先の空間が本当に存在しているのか不思議に思っている。舞台で使う張りぼてのようなもので作られた世界を本物だと認識している気がする。飛行機は飛んでいないかもしれない。本当はワープしているけども、空を飛んでいるように錯覚させているのかもしれないと思っている。宇宙も同じく」

「自分の部屋から一歩出ると、部屋のなかとは異なるものが空気を作っているような気がする。だから外が苦手。外に出ると、部屋の中にはない、知らないものがくっついてくる」

「自分の記憶にしっかり残っていない日は、脳が勝手に作りだしている気がする。時間がたつのが早すぎる日がある。そういう日は何者かによって、記憶を貼りつけて早送りされているんだと思っている」

わたしが考えていることを話すと、臨床心理士の先生が言いました。

「あなたは、かなり特殊なものの見方をしている。独創的で、思考回路が大渋滞しているから、頭のなかにある世界を形にしたほうが良い。絵を描くとか、文章を書くとか、何か作るとか、創造することを」とのアドバイスが。

その言葉によって、高校時代に「独創的」と言われた出来事を思い出しました。これは、デジャブだなあ。と。


 人と一緒の考えをもつ人間になりたいと願ったけれども 


わたしは、高校時代に不登校になりました。不登校になる前も、なった後も、「普通になりたい」「まわりの人にまぎれて暮らしたい」そう願っていました。

ですが、大人になるにつれて、自分がもっている、多くの人とは違う感性を、うとましいと感じる時間は減りました。自分が変化したきっかけは、不登校ひきこもり支援に関わったからというのが大きいのですが、それだけではなくて、人との出会いが増えるなかで、個性的を呼ばれたわたしでさえ“個性的”と言いたくなる、平凡ではない人と知り合う機会が増えた影響も大きいです。

小学校、中学校、そして高校では、小さな空間が、わたしの世界でした。そこには、他とは違う生きかたをする大人が入りこむスペースはなくて、標準的な生きかたをした人(先生)が、世界のすべてなんだと感じていました。標準的な人しか上手に生きていけないんだと思った。

大学へ進学すると、わたしの感覚が変化しました。大学の先生は、高校までに出会った“先生”とは違う存在でした。知識を教えられているという感じではなくて、考えを共有することを求める高校までの先生とは違いました。“気になるとこだけ、吸収したら良いよ”って感じ。

(・∀・) わたしのまわりの教授は、みんな個性的だった。まわりからの“共感”を求めず、自分だけの世界を生きているようにみえた。

そういう生きかたがあるんだ。と、わたしは衝撃を受けたのです。まわりを気にせず、自分が「良い」と感じる考えに自信をもって生きたら良いんだと。


 独創的だから、新しいアイデアを生み出せる 


社会人になると、わたしがもつ“人とは違う考えかたをする”という特徴が評価される場面が増えました。

(・∀・) めちゃくちゃ見当はずれな発言をして、まわりとポカンとさせる日もあったよ。

わたしは空気が読めない。ぜんぜん読めない。どうにかしたいと悩んだ日もあるけれども、職場の先輩に「空気読みすぎると、いてもいなくても良い存在、空気そのものになるから、人と違う考えをもてるのは良いことだと思う。気にしなくていい」と言われて、(そっか、これで良いんだ)と考えるようになった。

そういえば、わたしは職場で空き箱や紙袋を貰う機会が多かった。みんなくれた。(なぜ)と思っていたら、「空き箱活用のプロ」と呼ばれていることが分かりました。空き箱を使って、そこらじゅうを整理整頓しているので、好きなんだと思って、みんながくれたらしいです。あんまり考えたことなかったけども、わたしは空き箱で机の引き出しを小分けにしたり、書類入れる棚を作ったり、なんだかんだ工作していました。

(・∀・) みんなやっていると思っていたけど、まわりを見ると、誰もやっていなかった。

変なことやってるなあ。と考える人も、もちろんいたと思う。でも、楽しげなことをしている、応援してやろう(空き箱をあげよう)と考える人もたくさんいたから、わたしには大量の空き箱が届いたのです。大人社会には、個性を認めてくれる人が、たくさんいた。

小学校や中学校、高校では“人と違う”っていうのは悪い個性にとらえられることも多いけども、大人になると“人と違う”のが評価される場面が増えます。だから、「みんなと一緒にならなければ」って悩んでいる人がいたら、気にするなって言ってあげたい。

よく似た行動をする人が多いなかで、幸運にも、人と違う。希少価値のあるレアキャラクターなのである。

(・∀・) ポケモンでいうとミュウ。レアキャラ。

だから、個性的な自分を悩んでいる人は、自信をもって生きてください。人と違っても、良いんだよ。大丈夫、なんとかなる。

わたしが教えてもらったように、頭のなかに渋滞する考えを外に出すと良いかもしれません。絵を描いたり、文章を書いたり、音楽を作ったり、写真を撮ったり。自分では普通に作っただけのつもりでも、まわりからすると、個性的な発想のものができていて、褒められたり、驚かれたりするから、自信につながるよ。

(・∀・) わたしは作文が大嫌いだったけど、いまでは文章を書くのが好き。

子どものころに興味がなかった、苦手だったことも、評価する先生がいない状態だと“意外と好き”かもしれないよ。お気に召すまま、自分の世界を作り上げてみてください。

ほな、またー(・∀・)よしなにー。

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