8話 男子禁制ではなかった沖縄の聖地

セヂ(霊力)という信仰を利用して、神女と「てだ」(按司)という二重の神格化構造をつくり上げた琉球の支配者たち。
彼らが君臨したのが、もっぱら山と岩の聖地(神奈備山)でした。
その多くは「グスク」と呼ばれました。

8話 男子禁制ではなかった沖縄の聖地

上の図は、国土地理院が公開している「地理院地図(電子国土Web)」の地形図に、グスクの位置を赤マークで示したものです。(ここではグスクの多い本島南部のみ掲載)
 →  →  →  の順に標高が高くなって行きますが、
すべてのグスクがの上に造営されていることが分かります。

これらはすべて聖地で、今なおイベ石(磐座)などが祀られています。
人が住み始めたのに聖性が失われなかった点が、姫山(姫路城)に代表される大和の状況と大きく異なるところです。(「5話 「神」を名乗る集団」参照

琉球の支配者が聖地に君臨することができたのは、彼らが自らを神格化する信仰を確立させていたからなのでした。

米須グスクのイベ石
米須グスクのイベ石(糸満市)

中城グスク一の郭のイベ石
中城グスクのイベ石(中城村)

8話 男子禁制ではなかった沖縄の聖地
今帰仁グスクのイベ石(今帰仁村)

沖縄本島だけで200以上あるグスク、その大半に神女と按司が君臨していた。

この事実は、ある沖縄の信仰的常識を覆します。

「琉球の聖地は、男子禁制ではなかった」

沖縄の聖地は男子禁制で女性のみ立ち入りが許される、というのが常識です。
今なお、それを固く守り続けている聖地もあります。

しかし、グスク時代の聖地には、神格化した神女と按司が君臨していました。
聖地に男性が住んでいたということです。


それがなぜ、古神道を彷彿とさせる神奈備山の姿で今に伝わっているのか?

答えは簡単です。
戦乱を勝ち残った首里の国王が、各地の聖地から按司を追い出し我が物としたからです。

聖地の支配がその地域の政治・財政・軍事を司ることになるとお話しましたが、グスク時代の争乱は、いわば聖地の争奪戦でもありました。

この争奪戦を制したのが首里の国王でした。
なので、国王だけは、聖地「首里グスク(首里城)」に君臨し続けている訳です。

8話 男子禁制ではなかった沖縄の聖地
首里グスク(那覇市)のイベ石(磐座)

沖縄の聖地が男子禁制になったのは、聖地を独占した首里王府の聖地支配政策の結果
です。

それがどのような政策だったのか?
は、いったん置いておきます。

次回は、生前、神格化して聖地に君臨した支配者たちが、死後も聖地に君臨し続けたというお話をします。



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