理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

都内の おかしな駐車メーター事情

Mです。
駐車監視員の業務範囲改正を求む!

 都内をクルマで動き回ることも多いので、そのたびに苦労するのが駐車場探し。大型ビルの並ぶ都心部ではもっぱら駐車メータ頼みだし、都心部から外れた地域では幹線道から少し入り込んだ路地などにまばらに存在する小さな駐車場にお世話になることが多い。都外なら、少し遠方になれば一日600円なんて駐車場もざらにあるが、少なくとも23区内ではそんなことはあり得ない。
 行動範囲の千代田区台東区あたりだと、山手線至近なら4時間で2~3千円が相場だし、東にずれて隅田川に近づくと同程度の料金で駐車可能時間が8時間に変わっていく。さらに隅田川を渡って墨田区に入ると、今度は8-19時1,000~1,500円のように一気に割安になっていくので、なるべく安い場所を探しておいて安い順に訪ねていくことになる。

  そんな駐車場難民としてどうしても理解できないのが、駐車メーターで違反シールを貼られるパターンの不可解さ。
 最近はすごく注意しているので貼られてはいないが、もう5年ほど前になろうか、秋葉原で部品買いして戻ったら3分オーバーで違反シールが貼られていたことがある。誰が貼ったのか、駐車監視員なのか警邏の警官だったのか? いずれにしても、ただただ運が悪かったに尽きる。だって、隣のクルマは未納で65分経過しているのにおとがめ無しだったのだから。オレのクルマってそんなに目立った?

 数日前、神田の薬問屋さんが集まる界隈の細道で、おかしな光景に出くわした。ハザードランプを付けて停車し、ハッチを開けて持ち物の整理をしていたのだが、後ろに2カ所あっていずれも枠内駐車していた駐車メーターで、片方の時間オーバー(40分オーバー)に駐車監視員が違反シールを貼っていた。が、よく見ると、隣のクルマは未納ランプがついたまま340分を表示しているのにシールを貼らないのだ。なんじゃそれ!と思い(実は憤慨しているのだが)、二人組で仕事している監視員の一人に、「なんで未納で長時間止めている車がセーフで、40分オーバーだけに違反シールなのか!?」と聞いたのであった。その応えに唖然、「未納は我々の管轄ではないので・・・」とのたまい、ニヤニヤ笑いで去ってしまったのである。

 そんなバカな! である。

 モヤモヤしながらも放っていたが、連休の恩恵で時間があったのでネットで調べてみて更にビックリ。駐車監視員の職務である違法駐車には、駐車禁止区域などでの駐停車の監視と駐車メーター関連の違反駐車監視があるのだが、メーター関連には驚くべき「穴」があるのだと知った。

※関口法律事務所の方が解説している下記サイトを見ていただくと理解できる。
 https://sekiguchi-law.com/post-4086/

 なんと、駐車メーターに関する駐車監視員の業務範囲には、制限時間違反・指定方法違反(不作動違反は含まない)しかないということなのである。つまり、未納状態は、カッコ内の不動作違反に相当するため、駐車監視員は取り締まることができないのだ。それが、ニヤニヤ笑いで立ち去ってしまった監視員たちの壁だったのだと知った。

 これを知って、モヤモヤ、いや、むしろムシャクシャして来た!v
 では、未納でメーターを使っている車は駐車違反にならないのか!というと、そうではない。駐車監視員の職務範囲には入っていないが、本来の警察署員がおこなう取り締まり対象にはなっているので、おまわりさんが見つければ切符を切る、のである。

 とはいえ、警察官の人員不足があるから作らざるを得なかった駐車監視員制度だから、署員がメーター違反のために歩き回ることはごくわずかだろう。新人教育で交通課の職員が二人連れで動き回る新年度1ヶ月ほどの現場研修期間は「キビシク」取り締まられるのかも知れないが、それを過ぎてしまえばまずは安心、という状況なのかも知れない。実を言うと、5年ほど前の駐車時間オーバーを見つけられたのも4月だった。

 駐車監視員の採用は、各警察署長の権限で行われる民間委託だ。ならば、その職務範囲にメーター管理の徹底を入れたらどうなのか。荷下ろしでハザードランプを付けたままドライバーが行ったり来たりしている隙に急いで写真を撮って駐車違反シールを貼る行為は、さすがにウンザリである。それよりも、決まった場所にある駐車メーターをしっかり管理してくれれば、駐車スペースが足りないために起こっている短時間荷下ろし駐車の解消にもつながり、まっとうな駐車監視になると思うのである。

 毎日のように通る場所にある駐車メーターには、週のうち3日は同じ車が超長時間駐車をしている。未納で340分というくだんのメーターである。一度は520分という時もあった。
 はてさて、最高記録はどのくらいまでいくだろうか・・・

交通法規は誰のため?

Mです。

東京の道路は、危険がいっぱい!
 
 とは言っても、クルマがウヨウヨしているから危険、という意味ではない。むしろ、適度に歩道が整備されていて、適度に路面状況が良いことでかえってコワいのだ。

 以前、電動キックボードが一般道での使用認可されたときにも触れたのだが、田舎のでこぼこ道では使えない楽ちんツールが、安易な使い方をされるために都内のような良好道路環境下ではけっこう危ないツールになっている。

 使用者がかなり増えた電動アシスト自転車もしかり。グイッと踏み込めば、さして脚力がないご婦人でも、信号が変わったとたんに横断歩道にサッと飛び出して歩行者をすり抜け、そのまま歩道を突き進んでいく。そんな光景が、もはや日常茶飯事。スポーツサイクルを駈るお兄さんが車道の端を進むのと同じ速度で、歩道を突っ走ることができてしまう。時速25Km/Hrまではアシストしてくれるので、とにかく加速度が半端ない。ハンドリングが巧みな人ならそれでも大丈夫なのかも知れないが、どれだけの電動アシスト運転者がその域に達しているのかと想像すると、ちょっとコワい。

 その電動アシスト自転車のように見せかけて、実は「電動自転車」があたかも適法であるかのようにしてネット販売されている現状が、先々週の新聞紙上で取り上げられていた。

参考;朝日新聞、10月26日朝刊社会面

※    実物はこんなの

   

 だいぶ前から、太いタイヤでフレームが異様に太く角張った真っ黒なアシスト自転車だろうと思われるモノを目にするようになったが、やはり違法モノだったのだとわかった。

 なにしろ、ほとんどペダルを踏んでいないのに原付自転車(原付バイク)と同じかそれ以上の速度で車道を走るのである。たいていは若いお兄さんで、黒塗り車体に似合う若干いかつい感じの人が多い。さも自慢げに車道を突っ走っていく。少しでもペダルをこいでいるマネをするのはかわいげのある方で、まったく踏むこともせずにただただスピードを上げていく輩は、何とも憎々しい。あきらかにスロットルを回して加速しているのが見え見えで、なんで許されているのか不思議でならない。原付バイク以上の速度で走りながら、もちろんノーヘルメット。警察は、交通安全週間のたびに都内各所でバイクの検問を設けてバイク乗りを監視しているが、一度として電動自転車をチェックしているのを見たことがない。それどころか、バイクを止めて免許提示を求めている警察官たちの脇を、黒い「電動自転車」がペダルで走ってま~~す、と緩くペダルをこいで通り過ぎていくのを見たのが何度あることか・・・ つまりは、一旦許可してしまった交通ツールについて、違法なツールにもかかわらずチェックされずにいて、規則の安全な運用が損なわれている現実がある、ということだ。

 警視庁のページでは、「電動モビリティーの交通事故防止」というサイトでこの手のツールをはっきりと自転車ではなくバイクであると定義し、ナンバー取得が必要としている。でも、実際には取り締まれていない!

※「電動自転車」って自転車?バイク? のページ
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kotsu/jikoboshi/electric_mobility/pedal.html

 これは、電動自転車に限ったことではない。後に認可されてだいぶ貸し出しステーションが増えてきた電動キックボードも同様。ヘルメットは努力義務で、時速25Km/Hr以下、6Km/Hr未満なら歩道もOK、というが、後方確認のミラーを付けることになっていたはずが、それがないものも走っているし、歩道を明らかにアシスト自転車並みの速度で走っているのも見かける。
 結局は、こっちの規則も「ザル適用」なのだ。

 自動車の運転免許を取るとき、そして更新するときには、みんな毎回それなりの経費をかけて免許の維持をしている。その一方で、自転車と同格だからとほとんどノーチェックで済まされている電動ツールが、提供する事業者に甘く、発生するかも知れないトラブル被害者にとって無慈悲な状況を生んでしまう現状を、交通法規を定めてそれを運用する側はもっとしっかりと捉えてもらわないと困る、と思うのだ。

ユーミンの世界 その2 " 万年筆 "

Mです。

 自身の生活の中で、最近めっきり減った行動のひとつが文章を手書きすること、である。
 毎日数千字の文字を書いてはいるが、ほぼキー入力だ。気づいたこと、思いついたこと、アイデア、なんぞを都度付箋や雑紙にボールペンで走り書きしておく以外、手書きすることはほとんど無い。運転中に思いついたことは、デジタルレコーダーに吹き込んでおいて、後から聞き直して文字に起こす。それも、直接PCで打ち込んでしまうから、ここでもペンは使わない。とにかく、とてつもなく便利なワープロソフト(初期からずっと一太郎系)のおかげで、文章作成の速度はかなり上がった。あれっ、どんな字だっけと思い出せない漢字も、辞書引きすることなくほとんど済ませてしまえるから、効率がめっぽう上がったのだ。
 その一方で、手書き自体が難しくなってしまったのも事実。遅いし、漢字を思い出せないことがしばしば。横文字の単語も、あれっLだっけRだっけ?なんてことがしょっちゅうだから、入力してからワープロさんに修正してもらえる有り難さは、もう絶対捨てられない。

 こんな生活の変化で全く使わなくなってしまったモノのひとつが ”万年筆 ”だ。
 学生になった頃は、ちゃんとモノを書くときは万年筆、それ以外はボールペン、がマイルールだった。同じようにしていた人も多かったと思っている。
 万年筆で書かれた文字には、何となく品があって落ち着きがあった。液だれがしばしば起こったボールペンは、素早く使うには便利で、消えることもなかったから、殴り書きできるペンとして重宝していた。学生時代の実験ノートも、鉛筆とボールペンが入り交じっていて、データはボールペンで記すことを守っていた。改ざんしないという意思表示と、消えないという安心感の二つがこもっていたのである。そして、まとめて論文にするときには万年筆の登場。修正液で消す頻度をどれだけ少なく出来るかを自分に課しながら、じっくりと頭の中で文章を練りつつペン先を滑らせる摩擦音に酔っていたのかもしれない。それだけ、万年筆は「本物」を作る時のツールとして重要だったのである。

 ああそれなのに・・・・
 もう30年以上、Mの万年筆は引き出しの中に閉じ込められたまま。多分、インクが乾いて固まってしまっているから、使うとしたらペン先を外して超音波洗浄器のお世話になるしかないだろう。復活させることは出来るだろうが、使うときが来るのかどうかは疑問。ちょっと使ってみたい気はするけれど、多分面倒になって引き出しに戻ることになるような気もする。常時使用しているポールペンが、今ではかなりの進歩を見せていて使い勝手が良いだけでなく、ほとんどの公式文書への記載がボールペン推奨になっているほどだから、社会的認知が行き届いてしまった。趣は格段に違う、とはいえ、いまでも万年筆を常用している方がどのくらいいるのだろうか、と疑問に思う。松本清張氏が極太の万年筆を持ちながらたばこを吸っていた写真を見た記憶があるが、作家先生方でも、万年筆派はだいぶ減っているのではないかと想像するのである。

 趣がある、と書いたが、まさに万年筆の文字はボールペンとは全く違った個性があると思う。ボールペンは紙にボールチップを押し当ててインクを出させるから、筆記具としては筆圧がかかる鉛筆に近い。一方、万年筆は、それ以前の羽根ペン時代からの系譜に連なるので、筆圧は掛けない。ペン先の隙間に溜まったインクを滑らすように紙に載せていく感じ。力を加えることなく、ペン自体の重さだけを使って指は前後左右の方向だけをコントロールする書き方なのだ。この動きのクセが人それぞれだから、万年筆の文字にはその人特有のカタチがあっておもしろかったのである。肩の丸みが暖かさを感じさせる字、書き始めと跳ねが剛胆なゴツい文字、流れるように続く優しい文字、などなど。Mの万年筆文字は、一生懸命書いたことは分かるがどこか堅苦しい文字で、万年筆を使いこなせていた人のものではなかった。自分の文字を作りたい、と思っていたのに、そうなる前に万年筆を引退してしまった。

 筆圧を必要としないから、万年筆ならどんな紙にでも文字を書くことが可能になる。
 例えば、喫茶店の紙ナプキンでも、滑らせるようにして文字を書くことが出来る。ボールペンだと、多分破れてしまうだろう。もちろん、えんぴつは論外。毛筆なら可能だろうが、これもまた事実上は論外だろう。

ブログ:大草直子の毎日AMARK より拝借いたしました。 
https://amarclife.com/blog/20210910/

 

 さてユーミンの世界。

 上記の紙ナプキンは、まさに「海を見ていた午後」の世界である。地元ではレストランの方より同名のラブホテルの方が認知度が高かったという噂もある「ドルフィン」の窓辺で、ソーダ水のなかを横切る貨物船を見ながら、忘れないで、と紙ナプキンに書いたのである。
 もちろん、万年筆で、とはうたわれていないが、ボールペンではないはず。なぜなら、「インクがにじむから、やっと書いた」のだ。そしてきっと、この万年筆のインクはブルーだったのだろうなぁと勝手に思っている。コンクブルーだと、なんだか堅苦しい気がするから。
 難しいけれども紙ナプキンに文字が書けた彼女は、きっと万年筆を使い慣れた人だったのだろう。いつも携えていて、ちょっとしたメッセージを残すにも紙切れにブルーインクでサラっと書く、そんな人なのだと想像した。
 薄めのブルーインクが窓の向こうに広がる海の青ににじむように消えていってしまう、そんなやるせない感情がゆったりとしたメロディーラインにのってフェイドアウトしていく名曲である。
 
 万年筆のインクは水でにじむ。
 「青いエアメイル」がこの世界。
 上述の曲と同様に、静かにゆっくり流れる名曲で、その印象を際立たせているのが雨の日に届いたエアメイル。今日か明日かと心待ちにしていたのだろう、ポストに落ちた音を耳にして急いで取りに行く情景が、せつなくてかわいい。エアメイルの宛名書きも送り主名も万年筆で書かれているのは間違いない。「雨に濡れぬうちに、急いで取りに行く」のである。目当てのエアメールだとわかって、彼女は差していた傘を肩で押さえて待ちきれず封を開ける。中にはクセのある文字が並んでいてせつなくて歩けなくなる・・・
 この恋がその後どうなるのかはわからないけれど、彼女はずっと彼のことが好きだと心の底から想っている。その想いがとてもやさしく、かつ、たくましい。

 これら2曲は、万年筆の文字が共通のキーになっていると思う。スマホ時代の今ではとうてい考えられない、想いを「自分の文字」にして相手に送る、という行為を、特徴のある文字を生み出す万年筆というツールが可能にしているのである。
 ボールペン習字なるものが新聞紙面でカルチャー講座に取り上げられているけれど、万年筆の文字は上手く書くことが本質ではなく、自分の文字を作ることに意味がある特殊なツールなのだ。

 そんな特殊なツールが、昭和を紡いできたユーミンの世界に生き生きと輝いているのだと思うと、なんだか不思議でもある。

 う~~ん、引っ張り出してみようかな、万年筆。

デジタル化をあせるな!

Mです。

 近しい世界でゴタゴタがいくつも続いて、だいぶこの場から遠ざかっていた。
 その間に、世の中でもゴタゴタが発生して、しかも収まるどころか次第に深刻化している。デジタル庁という、名称と中身にだいぶ齟齬があるように見受けられる組織が進めるマイナカード騒ぎだ。

   

 すでにすべての国民に振られているマイナンバーを元にして、個人データを国レベルの統合システムに吸収して、将来的に役所業務の効率化とサービスアップが図れるようにするのだ・・・ 的な、見栄えの良い題目を唱えて突き進む公共サービスのデジタル化路線である。

 とはいえ、高度成長期の放漫ハコモノ行政とおなじく、マイナカードを作ればお金をあげるよ~~ と2兆円だかをばらまいたあげく、1対1で紐付けたはずのデータが食い違っているケースがいくつも起こったり、廃止するからと脅して紐付けさせた保険証が医療現場でアクセスできなかったり、初歩的なミスが元になった珍現象(笑ってはいられない!)が続々である。その後始末に、現場職員総動員で点検だ! と、今さらながらのアナログ対応。音頭取り大臣一人の責任にしてトンズラしようとする政府は、根本から考え直すべき断崖の淵にあると感じる。

 そもそも、政府関係者は、デジタル化という言葉をどこまで理解しているのか疑問だ。 たぶんなのだが・・・ 彼らの言うデジタル化は、だいぶ前に始まって経済界では当たり前になってきているペーパーレス化と同義なのでは、と思ってしまう。
 手書き文書、手書き書類、手書き仕様、手書き請求書、云々の様々な連絡、業務文書などを、一定のフォーマットに統一していってPC上で入力し保管管理する、文書・書類の電子化が、デジタル化という流れの始まりだった。
 ただ、これは、業務を手書きから入力に変えて、誰もが紙のやりとりなしに情報をPCとネット環境を使って共有することに目的があっただけで、真のデジタル化の前段階だといえる。なぜなら、同じアプリ、同じシステムを使っている者同士ではやりとりが出来るものの、外部の者がアクセスしても見られるモノは文書や帳票の写真と同じものであって、データそのものでは無い。現在多用されているAdobe社発祥のPDF書類と同じで、見て読むことは出来ても、データとしてはそのままコピペできない。つまり、電子化で止まっていて真のデジタル化情報ではないのだ。同じシステム内でのデジタル化で止まっている。
 そうは言っても、これだけでも、学術社会を含む産業界全体にとって、電子化は大いに役立ってきた。データそのものにアクセスされて改変でもされたらオオゴトだから、内容はわかるが元は浸食されない、というレベルでも、物事の効率は飛躍的にアップしてきたのだ。かつては膨大なファイルの中から必要なものを抜き出してコピーする、なんてことをしていた事務作業がなくなり、必要ファイルをひょいひょいと集めてつなげればプレゼン資料もあっという間に仕上がる。夜中まで会議資料を作っていた時代は、もはや遠い昔なのだ。(そうでもない事業所もまだまだあるけれど・・・)

 そんな文書作成・保管の効率化を、政府の皆さんはデジタル化と思っているのではないか、というのがMの読みである。デジタル庁大臣も、多分そうだ。

 しかし、本当のデジタル化はこの先にある。

 今問題になっているマイナカードへの紐付けトラブルは、電子化レベルの資料を個人のカードと紐付けて便利になります、と言っているレベルだ。誰がその紐付けをするのかといえば、行政職員と本人の責任。そこでミスがあれば、検証も出来ないまま紐付けが固定化して、コンビニで住民票を取ったら違う人のが出てきた、診察に行ったら保険証確認が出来ない、などが起こっても現場対応は不可能なのだ。そんなこんなのゴタゴタを、さあ総点検だ! と号令をかけたところで事態が収まるとは思えないのである。   

 かつての年金機構の消えた年金データもそうだが、結局は現場職員の入力ミスが何件などと、結果のミス検出数だけを公表して、修復を指示します、と逃げれば終わりだと考えているのではないかと思ってしまうのである。

 本当にデジタル化を目指すなら、国は最低10年はかけて、個人データと紐付けすべき対象を各界で絞り込み、個人データの侵害が起こらない境界を確実に作り上げることから始めるべきだ。今はほとんどデータとして入力されているはずの各種データを、「共通のデータベース」に落とし込むことが求められる。この共通データベース・システムこそが、デジタル化の中心となる。そして、これは神聖領域として保持されなければならない。浸食されそうになったらすべてシャットアウトする機構に守られる。
 ここで最重要なのは、①浸食されてはならない個人データの入れ物を国が保証して構築し、②その外側の各種システムを、相互変換可能なものに統一していく、という作業だと思う。いささか抽象的なので言い換えると、個人データは大金庫内の個人用施錠引き出しに納めておき、表に出して良いデータと本人しか見られないデータを別の容器に入れておく。これが、①である。行政、医療現場等が必要になるデータは、全国共通のシステムから既存の自治体サーバー、医療機関のサーバーなどにアクセスして①の箱から必要なモノだけ取り出せるようにする。これが②の共通システムである。だれが、いつ、なにを、取りだしたのかが逐次記録されていくことで、後の検証が可能となる。
 このような仕組みを作れたら、特定個人のアクセスコードをマイナカードに記憶させ、いろいろなサービスにアクセスして必要な情報をどこにいても安全に取り出すことが出来る。

 言うだけなら簡単なのだが、じつは、こういう統一システムを作るのはとても大変な作業になる。そもそも、世界にあまた在るデータベース・システムは、その構築者がそれぞれ企業化していて、共通部分はあるもののそれぞれが独自のシステムを作り上げている。同じシステム同士なら世界のどこからもアクセスしてデータの取り出し、加工ができる。しかし、他社システムに入り込んでそれを行うことはお互いに出来ないようにガードしている。それをやるのはブラック・ハッカー。だから、上述の②を行うには、国内に多数存在しているデータベース・システムの管理者了承を得た上で、国レベルでのデータ共有化を進めなくてはならない。その必要性を説き、納得させ、協力を得る、というのが本来のデジタル化を目指す「国」の仕事なのだと思う。

 これを行うには、何代もの政府が共通認識で立ち向かう必要があるだろう。政権が変わってもそれが継続できるほどの、国民的な共通認識を固めておかなければ、実現しないと思う。
 小手先の「便利です」説得で普及を図ろうとするマイナカードは、デジタル化社会の象徴にはほど遠く、やっと電子化社会に踏み込んだ程度の段階だということを、デジタル庁のお役人たちはわかっているはずだ。ただ、「電子化」イコール「デジタル化」と思っている政治家たちに付き合って黙っているだけだと思えるのだが・・・

 布マスクに800億円投じてしまった政権だから、マイナカード普及に2兆円なんて、
仕事しました、の証しくらいにしか思っていないのではないか。でも、そのお金も、物価高騰にあえいでいる国民から吸い上げたモノなのです。
 あっ、だからカード作ったらお金をあげる、って言ったのか!! 
 政府の言うこと聞けば、吸い上げたモノ少し返すよ、って。

 愚痴ってしまいました・・・

藤の天下取り それは危険なシグナル

Mです。

 今年の東京近辺では、3月半ばにソメイヨシノが咲き始めて一気に咲き進み、4月には既に桜吹雪が舞っていた。
 かつての入学式祝辞の定番に「サクラもほころび」という言い回しがあったが、少なくともこの10年は、その言い回しが卒業式用に横滑り採用されて来たように感じる。温暖化というけれど、そんな変化を見てくれば、確かに日本は暖かくなっていると思わざるを得ない。

 その流れの中でも、今年はことさら暖かい日が多い3月だった。4月になるともう5月を思わせる日が何度も訪れたから、草木はそれに応じて一気に芽ぶき、花を咲かせた。
 なかでも、郊外の野山をパッチパークのように色づかせた野生の藤が見事だった。
 4月半ば、仕事で走った成田近辺の里山のそこここに、淡い紫の花がいくつもの群落を作っていて、100Km/H越えで突っ走る窓から何度も眺めることが出来るほどだった。通常は5月初旬に満開、というのが記憶の中の藤だったから、ソメイヨシノと同様に半月以上早く咲き誇っていた、ということになる。

  

   ↑ 野生の藤 Wikiさんより拝借

 きれいだなぁ、と思いながら見ていたのだが、ふと???の疑問符。
 何であんなにたくさん群落があるんだろう、と気になったのだ。むかしから、関東地方の野山には藤があった。が、大きく繁殖していることは少なくて、野山のそこここに小さな薄紫の塊がちらほらと見えているのが普通だった。たまたま大きなものがあっても、次の年には切り取られてなくなっていたり、少しだけ残されている、ということが多かった。
 つまり、野山の管理者から見ると、藤は増やしすぎてはいけない植物なのである。

 葛藤 ということばがある。
 くず と ふじ。 どちらもつる性の植物で、ほかの木々の体を支えに使って繁茂していく。実際は葛と藤が生長争いすることは少ないのだが、互いに譲らず争い合う、という意味合いで、これら2者が戦うかのように使われている。実際の戦いは、むしろ葛あるいは藤と、彼らが絡みつく相手である灌木や喬木との争いで、絡まれた側は、日光を遮られて成長が妨げられるからやっかいである。
 ことに藤の場合は、数年もするとツルが太く固くなって絡みついた木の幹を絞りつけて食い込んでいく。先端はどんどん上を目指すから、たとえば高さ10mを軽く越える杉だとて、てっぺんまで藤に覆われてしまう。そうなっては、太い幹の木であっても栄養不足と幹の物理的な損傷のダメージから、数年もすると弱り、ついには枯れてしまうのである。

 それがわかっているから、里山の管理者は、林や森の健康を保つために行う下草刈りや枝払いの際に、木に絡みついている藤を除去してきた。完全除去は不可能だが、少なくとも必要な木の生長に影響しないように切り払っていた。それでも、翌年には外から見てわかる程度にきれいな花を咲かせていたのである。

 ということは、見事な藤の群落をきれいだと感じさせた今年の風景は、里山管理が一気に貧弱化してきたことを意味している、と考えることが出来る。
 まだ里山が目覚めきらない中で一気に花を咲かせたからいつもより目立った、という可能性もある。ただ、杉一本を覆い尽くすほどの大きさで花が咲いていた箇所がいくつもあったことや、まだ芽吹いていない落葉樹が、まるで藤のディスプレイ用の支柱であるかのようにすっぽりと覆われていた状況は、考えてみれば異常なことだった。

 関東の野山、里山は、春には山菜採り、秋にはきのこ採りで賑わったものだった。下草が刈られて明るい野山だからそれが出来たのだが、今現在は、ほとんどのところがススキや笹が繁茂していて入ることも出来ない状況になっている。おじいさんは芝刈りに、なんて今ではほとんど死語だろう。

 野山が荒れると、産廃を含む違法廃棄物の捨て場所になってしまうことが多い。
 きれいな景観を守る意味だけでなく、環境の保全、という観点からも、里山を適切に管理していくための知恵を絞らなければならない。

 藤がきれいだ、と喜んではいられないのだ。

ChatGPTは 天使? 悪魔?

Mです。

 おさわがせ超資産家マスク氏が「開発を半年止めろ!」と発言するなど、驚異的な浸透をみせているオリジナル・テキスト作製AIツールChatGPTが、AIと人間の今後に波紋を広げている。

   

   ところで、開発を半年止めることにどんな意味があるのか?
 その間に人間社会を侵食しない仕組みを作れるはずもなく、一度野に放たれてしまったネズミを完全駆除することなど出来ないと思う。いつか起こるはずだったAIと人間の共存危機が、無料のアプリで幕を開けた現実は、むしろデジタルネイティブの年齢層にこそ闇をもたらす可能性が高いと想像している。
 そもそも、止めろと言っているマスク氏自身がChatGPT開発を行っているOpenAI社の設立に出資したわけで、今更になってちょっと待った、と言うのは、開発の先に何が起こってくるかを想像していなかったことになり、恥ずべきことだと感じる。そんな彼に、「待った」発言をさせるほどに、あまりに簡単にいろいろな応用が利いてしまう無料アプリChatGPTの広がりはすさまじい、ということなのかもしれない。

 このアプリについては、下記の解説がなかなかうまくまとめてくれているので、一見の価値がある。

    https://www.gizmodo.jp/2023/01/chat-gpt-openai-ai-finance-ai-everything-we-know.html

 高度の文章作成を行う分野の人ほど、このアプリの被害を受ける可能性が高い、という分析も、なかなかゾッとするものがある。たとえば、取説文書、行政文書などは当然のこと、文学作品でさえ条件設定すればそれなりのオリジナル作品ができあがってしまうだろうから、それを土台にズブの素人がいっぱしの小説をネット配信、なんてことも簡単にできてしまうはずだ。それをネタに、グループを作って応援配信を種々の形で行い、評判をあおってフォロワーを増やして有料アイテムの供給者に育てて行ってしまう。そんなことも想像できる。

 そんな流れが進んでいったとき、ネット情報は果たしてどうなっているだろうか、と想像してみる。
 現状でさえ、モノの価値を一般ユーザーの評価ということで積み上げて行く手法が多い。実際はたいしたものでもないのに、超売れ筋であるかのように作り上げてしまうのは容易だ。TVショッピング、新聞広告も含め、どこを見ても、小さく個人的意見ですと言い訳しながら、とても良い商品でもう手放せません・・・的な褒め言葉をまき散らしては期間限定でお届け、などと消費者の購買欲をかき立てる手法はごく当たり前。そこにChatGPTの手助けが加わるとなると・・・ たぶん、ネット上の情報は、ほとんどAI頼みの”だまし”になってしまう気がする。

 これは困った! となるのかな?
 
 よく考えてみれば、そうなったところで、今とそれほど差は無いという気もしてくる。 結局は、見る側、読む側が、どこまで本筋を見極められるかにかかっているわけで、表面的な部分で引きつけられてしまう人は、ChatGPT時代になろうがそれほど変化はないようにも思うのだ。
 要は、目に見える情報をどこまで信じるのか、どうやれば信じられるのかを判断するための個人スキルを磨くしかない、ということだと思う。とはいえ、みんながそれを出来るわけではない。

 ならばどうする?

 ChatGPTが先行するAI社会には、情報の信憑性を精査するためのツールが必要になるのだと思う。それがアプリなのかそれとも人が行う組織なのかは判らない。というより、どちらも必要だと感じる。スマホ常駐のウソ発見アプリ、それを開発提供するとともに実際に深い探索を請け負う調査組織、そんなAI情報ガーディアンズがビジネスとしても成り立つのではないかと感じる。

 それにしても、これから先のビジネスはものすごく大変になると思う。相手の本質を見極めるための情報自体が、相手の思惑で作られた高度なAI作品だという可能性もある。それも前提にして見ていかないと、大木だと思っていたのがじつは空洞のハリボテだった、なんてこともあるだろう。
 コロナ禍で敬遠されるのが習わしになってしまった”対面”折衝が、あらためて見直されていくように思う。

 とにもかくにも、世の中にあふれる情報は、ほとんどウソだと思うくらいに割り切ることが大切だろう。それを、子供たちにどうやって教えていくか、それが一番の課題だと思っている。

ユーミン50周年だって! すごいねぇ・・・

Mです。

ユーミンといえば、やはりなんといっても「ひこうき雲」。

 ごく初期のLPを除き、レコードで世に出たユーミンものは、長年ジャンク屋をさまよってほぼ集まっている。水洗いできれいにして、DENONで再生してDATに落とし、そこからPCに取り込んでノイズ処理・・・ そんな作業をシコシコと続けているが、いつ完了するかは全く見えていない。

 50周年記念のアルバムが出たので聴いてみたが、どの楽曲も当時のマスターからのデジタル化だとわかった。集めたLPの音と特徴がドンピシャなのだ。となると、やはりLPからアナログで再生した音の方が格段に上を行っている。せっかく記念アルバムを出していただいたのに申し訳ないが、やはりLPで聴くことにしよう。

 それにしても、ひこうき雲、のLPにはまだ会えていない。さすらいのLP探索旅は、まだ続きそうだ。

 ひこうき雲との出会いは高校生時代。

 鼻濁音が有ったり無かったりする独特の歌い方と、歌詞の中にはっきりと「死」という語を入れながらも全然暗く沈むこともない歌詞の構成、そのどちらもがそれまでになかった新しい歌の世界だと感じた。

 高校生になって間もなくの頃、お世辞にも ”じょうず” とはいえないあの歌声がラジオから流れてきて、なんだかグッときて耳を引きつけられたのが始まりだった。

 そのラジオでの出会いから、隠れファンとしての期間も、もうすぐ半世紀になろうとしている。

 ”荒井” 由実が、いつのまにか”松任谷”由実になっていたのも、知ったのはだいぶ経ってから。大学時代もずっと聴いていたのに、そんなことには興味が無かった。いつも彼女の作品を編曲してくれていたあのクルマ好きカーグラ(Car Graphic)青年の松任谷正隆さんと、いつの間にか結婚していたのだった。こっちにとって、そんなことは別にどうでも良いことだったが、彼女の曲一つひとつをまさにドンピシャの雰囲気に纏わせていく編曲のうまさを思えば、二人は切り離せない関係になっていたのだと腑に落ちた。

 だいぶ前の記憶だが、細野晴臣さんたちのラジオトークで耳にしたところによると、ひこうき雲は、デモテープで彼らの元に届いたそうだ。誰かが持ち込んできて、集まった何人かがそれを聴いてすぐ、これ面白いぞ、となったのだという。彼らが曲を仕上げて世に出し、荒井由実という新人が、数年の内に独特の世界をつくりあげ、「ユーミン」というブランドに成長した。そういう意味でも、ひこうき雲という作品こそが、ユーミンの始まりだったのだ。

 細野さん、松任谷さん、たちのような個性の強い達人たちが寄ってたかって彼女の歌詞とメロディーを咀嚼し、その世界観を個性的な楽曲に仕上げていった。その作業は、さぞかし楽しかっただろう。一つひとつ楽しんでアレンジしていったことが彼女の曲の幅広さの元になっていることは、間違いない。

 天才が産み出してくる原曲を、これまた天才の集まりが、ああでもないこうでもないといじくりまわす作業。それが、50年も続いてきたということだ。すごい、の一言だ。

 経済状況の変動で世の中が浮き沈みする中で音楽の流行もいろいろと変化しているが、ユーミンのブランドが独自の地位を築き、維持し続けられているのは、天才の原曲をアレンジの天才たちが音作りの技で商品化するという、一連の「エキスパート事業」になっているからに違いない。

  ユーミン・ブランドがまだまだ続いていくことを期待している。
 
 考えてみれば、ユーミンの楽曲については、いろいろ思うこともある。半世紀記念というせっかくの機会だから、これから少しずつ取り上げてみたいと思う。

 次回は、今はほとんど使われなくなってしまった「紙のメール」をとりあげようか、と思っている。