預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

無意味にもほどがある

今夜、台風が近づく。


本来なら、鳥栖で朝の礼拝を終えたら、午後は大野城に出かけて行って礼拝を持つ、それが日曜なのだが、大野城の礼拝場所であるコミュニティセンターが、台風に備えての避難所になったので使えない。それでやむなく、午後の礼拝は中止。


という訳で、久し振りにゆっくり昼食をとっていると、息子がNHKの囲碁対局を見てる。


大体が、棋士は対局中にしゃべることはほぼ無い。何時間も黙り込んだまま、盤をにらみ続けている。


にもかかわらず、マスクをしている。そんな必要あるだろうか、と思うのだが、一応、対策やってる姿勢を見せないといけないのだろう。


その上に、なんと、対局している棋士の前には、アクリル板だ!


それも、盤に手を伸べるのを妨げない為に、大きな開口部のあるやつ
それはどれぐらい大きいかというと、棋士の体の幅で、高さは頭の上まで開いているのである! 通り抜けができるほどの開口なのだ
オドロイた。


本来、アクリル板というものは、飛沫を防ぐための物だろう。
しゃべる人には、それを立ててもいいかもしれない。
しかし、棋士はしゃべらない!
にもかかわらずマスクもしてる!
その上にアクリル板?
しかも、だだ空きの、なにも遮らない、枠だけの!


究極の無意味!


さすがは、NHK。
それも忖度か。

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