初実の果

キリスト教についてまとめるメモブログです。

父への唯一の道


FR 525 on way to Loy Canyon - Sedona

「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。』 トマスはイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。』 イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
- ヨハネ 14:4–6

エス様は、最後の晩餐で裏切りが差し迫っていること、外へ出ていくことを話しました。それを聞いた弟子たちは当然ながら不安に思いましたので(ヨハネ13)、イエス様は「父のもとに帰るのはあなたがたのためであり、そのために場所を準備するのです」と話して弟子たちの恐れを和らげました(14:1-3)。そして、弟子たちに慰めとなる真理を話した後、今日の箇所が明らかにしているようにイエス様は「あなたがたはすでに私が行く道を知っている」と話しました(4節)。

弟子たちはこれから何が起こるのか、イエス様がどこにいかれるのかが分からないために、イエス様を引き留めていました。 そんな中でのイエス様の言葉は理解し難いように思えます。トマスは実際に疑問を投げかけました。 イエス様はこれから起こる「キリストの捕縛、はりつけ、復活、昇天」といったすべての事柄を弟子たちが完全に知っている、と言ったのではありません。いいえ、イエス様が言いたかったのは、イエス様を知っている弟子たちは、その道への行き方を知っている、ということでした。 ヘブル人への手紙の著者が明らかにしているように、イエス様は私たちの先駆者として天上の父のもとに戻ります。イエス様は私たちをも父のもとに連れていくために、先に天国へ戻りました(ヘブル6:20)。 天国に行く唯一の道、神と和解する唯一の道はイエス様を通してなのです。 弟子たちはイエス様がどこへいかれるのかをまだ完全には分かっていませんでした。しかし、イエス様を知って、イエス様に属しているうちに、弟子たちもまた父のもとへ連れて行かれます。そのため、弟子たちはイエス様の行かれる道を知っていたのです。

この点はヨハネ14:6によっても確かめられます。これは、聖書全体の中で私たちの救いに関する最も重要な教えの一つです。イエス様は自分自身を道、真理、そして命として――父への唯一の道だと宣言します。 私たちはここで、キリストがこれまでに話された中で最も大胆な独占権の宣言を読みました。 イエス様以外には、罪を贖える方はいません。 ジャン・カルヴァンは次のように述べています。「もし誰かがキリストから離れるのなら、その人は道に迷う。もし誰かがイエスにあって休まないのなら、ただ風が吹き荒れる虚無の中、ひとりで餌を食べるだけになるだろう。もし誰かが、ただ一人で遠くへ行こうと思うのなら、命の代わりに死を見つけるだろう。」

私たちはこの点で、決して妥協してはいけません。ここでイエス様の教えと権威を否定するなら、イエス様自身とその業について、またイエス様の他の教えを否定しています。 R.C.スプロール博士はヨハネ福音書の解説でこう書いています。「私たちの友人、地域社会、また多くの教会でさえ、キリストの唯一性を否定しなければならないと私たちに教えます。 しかし、そうするためには教会の信仰告白を否定しなければならず、もっと重要なのは、イエス様自身による告白を否定しなければなりません。」

Coram Deo (神の前に)

エス様が父への唯一の道であることは、私たちの時代にはとんでもないことのようにされています。しかし、「違う」と告白するなら、私たちの主を拒否するに等しいのです。スプロール博士は言います。「もし[私たち]が[イエスは神への唯一の道であることを否定すれば、私たちは]イエス様を否定しています」キリストが父への唯一の道であり、それを決して否定しないと決心しましょう。そして、救いがキリスト以外の手段から得られるのだという圧力に負けずに、真理を告白する力を得るために祈りましょう。