愛は旧約聖書の土台です - 洪水、疫病、戦争…聖書の神は愛の神?(Part3)
Part2からの続きです。
癒やしと回復 ―― 預言者ホセアをとおしてあらわれる神の愛
ホセアの物語にあらわれる神の愛は、旧約聖書の中でもっとも重要といえます。北イスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアにより滅亡しました。預言者ホセアはそのすこし前に王国に宛てた手紙を書いています。
このころのイスラエルは生きたまことの神をこばみ、偶像の神バアルをあがめていました。人々は性的不道徳をおこなっていました。さらに、子どもを火でいけにえとして神にささげていました。みな罪と腐敗のなかで生きていました。
「この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている。」*1
一般の人々だけでなく、聖職者でさえ腐敗はすすみ、もはや取りかえせないレベルにたっしていました。
「ギルアドは悪事を働く者どもの町、血の足跡に満ちている。祭司の一団は待ち伏せする盗賊のように徒党を組み、シェケムへの道で人を殺して、恥ずべき行いを重ねる。」 *2
愛する者たちがこのように滅ぶのをただ見ていることに、神は耐えられませんでした。
はじめからそうであったように、神は人々とつながりつづけたいと望んでおられます。
「エフライムの腕を支え、歩くことを教えたのは私だ。しかし、私に癒やされたことに彼らは気付かなかった。私は人を結ぶ綱、愛の絆で彼らを導き、彼らの顎から軛を外す者のようになり、身をかがめて食べ物を与えた。」*3
天地の創造主、遍在する全知の神が、これほどまでの慈しみと愛をもって、私たち人間の世話をしてくださっているのです。そのようなことを誰が想像できるでしょうか。
神は私たちのくびきを取り去ります。そして私たちに食べものをたべさせるために、身をかがめるのです。なんてすばらしい父親なのでしょうか。
私たちの奉神礼では、次のように祈ります。
「私たちは罪を犯した。それゆえに神は苦しんだ。私たちは罪のために、神の義から恩恵をうけた。神は私たちのために、その借りを返してくださった。私たちのために、神は喜びより苦しみを、安息より労苦を、名誉より侮辱を、ケルビムの運ぶ王座より十字架を好んだ。」*4
なんてすばらしいことなのでしょうか。人々への神の愛は、旧約聖書か新約聖書かにかかわらず、全体をとおして聖書にあらわれています。
イスラエルへのメッセージは『私はあなたを愛している。だから、私のもとに帰ってきなさい。』という、とても単純なものでした。
「イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ。あなたは自分の罪につまずいた。…主に立ち帰って、言え。『どうぞ罪をすべて赦し、良いものを受け取ってください。私たちは唇の実を献げます。…ただあなたによってこそ、みなしごは
イスラエルはおおくの罪をおかしました。それでも、告白するのならば、神はあわれみぶかく、よろこんで受けいれます。そして人々を愛して癒やし、やしないます。
神に近い人は神について何と語りますか?
神の指でかかれた十戒をもう一度うけとるため、モ―セは山にのぼりました。
そのとき、神はご自分についてを宣言して、いわれました。「主、主、
おおくの人は、この言葉を「自分の罪のために三代、四代まで罰される」という意味だとかんがえています。これは、誤解です。
ちがいます。私たちの愛する神はここで、こう言っているのです。
つまり、神は今の罪を忍耐します。そして、よい孫たちが悔い改めたときにはゆるしてくださるのです。
しかし、祖先の罪を繰りかえすのなら罰せられます。彼らが悔い改めて大いなる善をなし、永遠の命を得るためです。
おおくの人は、この聖句の後半をみて、神に文句をいいます。しかしその人たちは、「神は
旧約聖書は神をふかく知っている人たちによって書かれました。その旧約聖書に、おなじような言葉がいくつも記載されています。
二人の人間は、おたがいの関係がふかいほど、相手をよく知っており、また理解しています。
妻は夫のことをよく知っていますし、夫も妻のことをよく知っています。おなじように、神との関係がふかいほど、人は神をより理解でき、その無条件の愛がよくみえるようになります。たとえば、ネヘミヤのように。「しかし、あなたは恵みに満ち、
聖書にかかれる神の怒りや
神は何度も自分を「愛情深く忍耐強い神」として描いています。一つ例をとるなら、「私こそ主、この地に慈しみと公正と正義を行う者。これらのことを私は喜ぶ」とあります。*9
愛は旧約聖書の土台です
聖書の中で、神はあきらかにご自分の民を大切にされています。それだけでなく、神の律法全体は愛にもとづいています。
キリストは、どの戒めが最も重要であるかとたずねられたときに、このように答えました。
「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の戒めである。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。」*10
すべての律法と預言者たちは、この愛の戒めにかかっているのです。
『神は心からあなたを愛しておられます。ですから、あなたも心から神を愛しなさい。』
もし「神が愛」でなかったならば、もはや旧約聖書は意味をなしません。
愛は旧約聖書の土台です。読者のみなさん、安心してください。私たちの人生を支配する方は、世界で最も愛情と慈しみに満ち、優しく、誠実な友人なのですから。このことは頭にいれておいてください。旧約聖書を理解するための基礎となります。
(Part4に続きます)