哀愁の街を検針員が行く

定年後のプロパンガスメーター検針員の奮闘記

2011/04

2020-04-05 04:11:23 | 日記

か弱い春のきざしが、冬に戦いを挑み、最初は軽く一蹴されつつも、徐々に力を蓄え、ひとつひとつ階段を上がって行くような、けれんみのない果敢な三月。
その月の下旬に私の誕生日があります。

昨年、「老いぼれ」とこの月に、検針業務に出かけたので、今年も当然のごとく出発しました。
しかしとても空気が冷たく、骨身に応えました。
一年ですっかり体力の衰えが来たのだろうか? 
検針した十日間程の昨年と今年の気温を調べてみたら、昨年はほとんど毎日10℃以上だったのに、今年はたった四日間でした。
平均で4℃今年が低かった。
気温に原因があったのでした。

十一日午後、たまたまカミさんと遅い昼食を食べながら、テレビを見ていたら、画面が大きく揺れて、東北と関東地方に地震速報が報じられました。
そして津波警報も発せられました。テレビ画面を通してですが、津波の恐ろしさをまざまざと思い知らされました。

私の尊敬する吉村昭氏の『三陸海岸大津波』に明治二九年と昭和八年、昭和三五年のチリ地震津波のことが記録されています。
海水が海岸線から徐々に干き、湾内の岩は海水の中から続々と頭をもたげ、干潟と化し、干いた海水は、沖合で異常にふくれ上がると、満を持したように壮大な水の壁となって動き出した、と迫力ある描写で記してあります。(文中省略)

  今回、海水が干しあがり海底をみる画像を見れませんでしたが、海水はひたひたと不気味な高まりを増し、やがて凶暴なエネルギーとなって、車を木の葉のように翻弄し、船を堤防から軽々と持ち上げ、家々を飲み込んで行きました。

 さらに、原発事故が報じられました。

 春到来を告げるべき私の誕生月に、歴史的な未曾有の災害が・・・。

 我が家の桜は二二日に一輪咲きました。が、心が弾まない。

                                                 2011/04

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