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 今回は、私がSARSと出会った顛末をお話ししたいと思います。

 

 SARSは、2002年11月に最初の症例が中国広東省仏山市で報告されて、その月に流行が発生しました。本当はもっと前から流行してたんじゃないかと思います。

 

 中国政府は、これを隠蔽し、2003年2月までWHOに報告しなかったのです。世界中のほとんどの方が全く知らなかった訳です。当然日本中の方が知らなかったんです。

 

 私は広東省新会市(発生源から50km)に、その7年前から赴任していました。春節(旧正月)にあたり一時帰国し、2003年2月の中頃に、何も知らず現地に戻ったのです。

 

 中国のテレビ放送では全く報道されていませんでしたが、香港のテレビ放送(衛星)で、「非定型肺炎」として報道されていました。春節の里帰りで拡散されたのでしょう。

 

 工場の香港人に大丈夫なのかと聞くと、山の向こうだから問題ないとの事。暫くは気にしてませんでしたが、2月末に入ると世界各地へ飛び火し、香港人も心配しだしたのです。

 

 この時点で、日本への一時帰国を要請したのですが、「たかが風邪ぐらいで甘えるな」と一喝されました。日本では対岸の火事として全く気にしていなかったんですね。

 

 日本政府が動いたのが4月3日、既に香港・台湾・シンガポール・トロント・ベトナム等に飛び火し、集団感染が広がりつつありました。

 

 そして、4月中頃に帰国命令が出ました。「感染してるかも知れません、迷惑がかかるので、帰国しない方が良いのではないですか」と、拒否したのですが・・・。

 

 「感染地に従業員を駐在させていると、世間体が悪いので直ちに帰国しろ」と一喝されたのです(前に努めていた馬鹿会社の事ですからね、お間違えの無い様・・・)。

 

 2月に赴任してから4月に帰国するまでの2か月間に私が取った行動を、お話しします。

 

 赴任後の2週間はのんびりしたものです。誰も深刻に思っていなかったのですが、新会市でも感染者が出たと同時に、香港にも飛び火したと分かり慌てだします。

 

 帰国要請が却下され、自分の身は自分で守るしかないと思い、感染症に対応する方法をネットで調べ始めました。今と違い情報量も少なく手こずったのですが・・・。

 

 中国ではマスクをする習慣が無く、売ってはいるものの販売量が少なく、感染が広がり既にどこに行っても完売の状態で、中国側の会社から日本への援助依頼があったのです。

 

 しかし日本側は、「何枚欲しいんだ」、「工場の人員分ですから、多ければ多いほど良いのですが」、「なんで、奴らの分がいるんだ」、「こちらで手に入らないんです」、「知るか」。

 

 「中国側からの要請です」、「それなら正式ルートで要請させろ、お前が欲しいんだろ」、「分かりました、私が言っても信じないので正式ルートで言えと言っときます、ガチャン」。

 

 この電話以来、自力で何とかしようと思いました。先ずは手洗いの徹底、水分の小まめな摂取、日中は出来るだけ外に出て工場のパトロール(紫外線を浴びないとね)。

 

 私が子供の頃は、「子供は外で遊べ」、「太陽に当たらないとひ弱になる」と言われたものです。「太陽に背を向けるような人間になるな」とも言われましたね。

 

 「太陽にほえろ」(それは違うだろ、違うだろ~ムキー)。

 

 元々、手は良く洗う方で、中国では徹底してました。だって、あちこち汚らしいので気になってしまうのです。当時、中国の方はトイレの後、手を洗わない人がほとんどでしたからね。

 

 水分は夕食時からビールをがぶ飲みしてましたし、日中はコーラと鉱泉水(中国は水が悪いので試験用に購入したもの)を人と接触するたびに飲んでいました。

 

 バスタブが無いので、毎日シャワーを浴び、土日は会社の車を出して貰い(公共バスはリスクが高いので)、新会市の中心部にあるホテルに泊まり、ゆっくり入浴をしていました。

 

 結局、2週間後にマスクが大量に届いたのですが、私は貰うのを拒否。工場の人間が罹ったら、私も危ないですから先ずは奴らが優先です。

 

 私は工場で大人しくしてれば良い訳ですからね。彼らの方が感染リスクが高いのです。

 

 こうして毎日健全な生活(ビールがぶ飲みは違うだろ~ムキー)をしていたお陰か発症する事もなく、遠隔管理できる体制を造り、何んとか帰国の日を迎えました。

 

 珠海のイミグレーションを通り、一路マカオへ・・・。「マスクしてる人多いな」。少し貰っとけば良かったと思いながらマカオの空港へ行ってびっくり、どいつもこいつもマスクマスク・・・。

 

 ちょっと恥ずかしかったものの、咎められることなく名古屋空港到着。検疫で正直に「広東省から来た」ことを告げると、「熱はありませんか」、「はい」、「ではどうぞ」。正直拍子抜けです。

 

 家に帰り、荷物を消毒し、念のために家族とは別に寝たのですが・・・。夜中に寝苦しく、熱っぽいので体温測ったら、何んと、何んと、熱が、何んと・・・(お前は羽鳥君かムキー)。

 

 「39.5℃」、びっくりです。SARSに感染したと思いました。水分補給し、布団にくるまって寝たのですが、朝、ビッショリと汗をかいた状態で目が覚めました。

 

 すかさず体温を測ると、「36.5℃」と平熱になっていました。呼吸器に違和感もなく、土日であったこともあり、家族と出来るだけ接触を避け、外に出ず自宅待機で2日間過ごしました。

 

 月曜日、休めとの指示もないのでマスクして出勤。上司に報告すると、「なんでマスクしとんのや」、「潜伏期間が過ぎるまでは心配だからです」、「あ、そうか」って、脳天気なこと・・・。

 

 私が執った行動が正しかったかどうかは分かりません。ただ、手洗いは絶対に必要です。ウィルスの侵入を出来るだけ押さえること。

 

 そして、侵入したウィルスを可及的速やかに退治できるよう、免疫力をつける事が必要だと思います。少しの間、我慢するだけです。それが身を守る事になります。

 

 感染後治療し、陰性になった後、再び陽性になったケースが報告されています。普通はあり得ません。多分、その方は免疫力が相当低下しているのでしょう。

 

 安静にしていると免疫力が少し高くなります。よって、快方に向かったものの、日常生活に戻り免疫が再低下し、再感染または体内に潜んでいたウィルスが再増殖したのでしょう。

 

 最近免疫を上げる効果があると言う謳い文句で、数々の商品が売られています。確かに免疫力を高める効果はありますが、本来あるべき水準には戻りません。

 

 現代人の免疫力は平均して低下しています。この非常時、本来あるべき水準以上に高める必要があります。御高齢の方は特に心配です。

 

 私は当時、毎日のように日に当たっていました。広東省の冬は比較的暖かく、紫外線も日本より強いですから、ビタミンDを皮膚で充分生成していたと思います。

 

 インフルエンザが冬に流行する一因は、紫外線不足によるものです。北欧や北米の極高緯度地方では、低紫外線注意報が発令されるそうです。

 

 紫外線不足により、ビタミンDの生成が出来ず、免疫力が極端に低下し、ウィルス性疾患だけでなく、癌細胞の発生率を上げてしまうことが懸念されるのです。

 

 紫外線が弱まっているにも拘わらず、厚着をした上に、唯一の露出部である顔をマスクで隠してしまっているのですから、基礎免疫力が下がってしまってもおかしくありません。

 

 昨今、紫外線が殺人光線の様に謳われていますが、人間は本来、体毛を捨ててまで紫外線を浴びられるように進化した動物である以上、紫外線は必要不可欠なのです。

 

 当たり過ぎはいけませんけどね。当たらなさすぎるのも考えものですよ。

 

 兎に角、新型コロナウィルスに感染しない様に予防すること。また、感染しても発症しない様に免疫力を高く維持することです。決して重症化しない様に体調を整えて応戦しましょう。

 

皆さんの御検討をお祈りいたします。 

 

 

 

 

 

 

 

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