• 金. 3月 29th, 2024

結論をまず言っておくとBI導入は必然であろうという事です。それが5年後か20年後か分かりませんが・・・。

そもそも社会保障制度自体が現実に「立ち行かない」という話は普通にされていますよね(これは間違いですが)。年金も支給開始年齢を上げ、支給額を減らしとやっていますが、これは本末転倒ですよね。

「健康の為に1日3食摂りましょう。でもお金が無いので1食分を3回に分けて食べてください」と言ってるのと同じです。

ベーシックインカムとは

BI(ベーシックインカム)は、資本主義経済における生存権の確保と言えます。格差の拡大を放置すれば「お金」は歪に遍在する事となります。経済において「お金」は血液に例えられる事が多いですが、血流が悪ければ壊死する部分も出て来ます。「生活保護があるだろ」と言う方もいますが、現実には受給要件を満たしているが受給できていない方が大半です。

出典:日弁連生活保護Q&A

そこで条件を設けず全ての国民に生存に最低限必要な「お金」を給付するわけです、同額。ここで肝となるのは個別の条件を設けない事です。何故か。それは利権発生を出来る限り抑止する為です。全国民に対し地域・職業・性別などに関係無く一律の支給を個人単位で行う。

今回の持続化給付金やGoToなどを見ればわかり易いですが、条件を付けるとそこが利権の温床になるのです。

再分配は政治の仕事

政治の役割の一つとして重要な物に「再分配」が有ります。ですがこれがうまく機能していない最大の理由は、不平等な税収と不平等な配分と公正性の欠如・・・つまり権力者サイドの恣意性に委ねられているという事です。この「再分配」をする際に発生する不公正を最小にするには、全員に同額を給付するしか有りません。条件を付ければ、その条件を決める際に恣意性を完全に排除する事が不可能だからです。

「金持ちから取って、貧しい人に配れ」と言うのは耳障りは良いですが、その線引きは誰がするのでしょう?権力者ですよね。

何故条件を付けたがるか?結局、議論を財源からスタートさせているからだと思います。この位の財源だからこの位の人数にこの位の支給をする、みたいな話なんですね。でも目的は何でしたっけ?国民の生命と財産を守り、健康で文化的な最低限度の生活を保障するのが政府であり、政治の役目では無いのですか?であるのなら、その目的達成にいくら必要でその財源をどうするか?と言う順序でなければおかしいのです。順番が逆なのですよ。

日本に財源問題など無い

「財源には限りがあるから国債発行には反対だ」と言う方が多くいます。所謂主流派経済学を鵜呑みにされてる方々です。しかし冷静に考えてみれば誰でもわかる事ですが、財政破綻は何故起こるのか?これは海外から借金し返済出来なければ破綻します。つまり外貨建て国債を発行する必要があるわけです。ところが日本は基本的に自国通貨建国債を発行し国内で保有しています。つまり国内でお金が移動しているだけなのです。

あまり良い例えでは無いですが、家庭で考えた場合、家族内でお金の貸し借りをしている状態なので「一家」で見れば何も変わらないと言う事です。これが隣人から借りてしまえば返せず破綻があり得るわけです。

また日本は内需国であり、国内で十分な需要と供給を潜在的に抱えています。つまり全体で見れば物価のコントロールは外需国に比べ、圧倒的にし易いということです。

これも家庭に例えると、家庭菜園をしておりそれで食事を賄っている様なイメージです。これを作り過ぎれば消費しきれずに採れた野菜1個1個の価値が下がりますよね。逆に少なければ価値は上がる。

「家庭内でも返せなければ、訴えられるだろ」と思う方もいらっしゃるでしょう。確かに実際の国債発行のプロセスを考えると、国債の主な引受先は国内の市中銀行です。この決済には日銀当座預金が使われます。期日にこれを償還出来なければデフォルトですね。ですがこれは有り得るでしょうか?日銀が国債を買い入れれば問題ありません。(普通は借換ですが)償還を迎えた場合、そこで出た余剰利益は国庫(政府の当座預金)に戻ります。つまり政府の日銀当座預金から償還額が日銀の資産に移りますが、諸経費を引き残った利益は再び政府の日銀当座預金に戻るのです。

貨幣発行も見ておきましょう。日本には通貨発行権が有ります。印刷局で1万円札を印刷したとしましょう。原価は1枚20円ですね。日銀は20円支払い1万円札を受け取りますが、この時点ではまだ1万円の価値は有りません。A銀行が日銀当座預金からその1万円を引き出せば初めてその20円の紙切れは1万円の価値を持ちます。さて差額の9980円はどうなるのでしょう?日銀の利益になりますよね。ところがここから必要経費を引いた余剰の利益は国庫(政府の財布)に戻ります。

労働と資本

お金を得る方法には大別すると2種類あります。自分で働くか、お金を働かせるか。つまり労働と資本です。労働は生産活動ですが、資本は生産はありません。技術革新によって生産性は飛躍的に向上し、少ない労働で充分な供給能力を確保する事も可能となる流れです。現状のデフレと合わせて考えれば、需要を作り少ない労働で経済を回すことは可能なはずです。ところが所得と消費を削り、不労所得ばかりを増やす施策を政府は出し続けています。結果として富の集中が起こり、国全体は貧困層の拡大へと移行しました。

国の有りようとして資本の肥大化を助長するのは愚策です。現実には需要の拡大とそれに伴う供給力の強化が大事です。

「じゃあ大量消費しろと言うのか、環境問題は」と言う方もいますが、よく考えてください。物を買う時しかお金を払いませんか?教育や医療を受けたり、高速道路を利用したり、バスに乗ったり、こうしたものも「需要」ですよね。質を高める事も需要を掘り起こす事なのです。そうした需要が供給力や技術革新の原動力となるのです。

人は働かなくなる?

ベーシックインカムの話になると必ずこれを言う方がいます。確かに「最低限の生活ができればいいや」と考える人も一定数いるでしょう。しかし彼等も需要と消費は産みます。また人は消費活動と同じ様に生産活動も好きなのです。趣味で音楽や絵画、旅行、スポーツ、料理など様々な活動をしませんか?例えばあなたが旅行が趣味だとすれば、旅費や語学を学ぶために働こうとは思いませんか?つまり仕事の目的が変わるのです。生活の為や将来の為であった労働が、自分の好きな事や欲しい物の為の労働になるのです。自由になる時間も増えるでしょうから、人によっては趣味自体が収入に繋がる人も増えるでしょう。つまり多くの人が「生活の為ではなく、生活の質を上げる為」に働くので、目的がはっきりしている分、仕事の効率も向上しやすいでしょう。労使関係においても、今より一方的なパワーバランスにはなり難いと思います。労働のミスマッチも減り、実際には全体の労働力が減少するとは考え難いです。

まぁ、もっと言ってしまえば社会全体で見た場合、現在消費されている労働時間の過半数はおそらく無駄です。あなたの会社でも「この人仕事してるの?」って感じる人いませんか?リダンダンシーと言うんですが、物事には冗長性が必要なのです。維新の会などがよく「無駄を削れ」と言っていますが、あれをやれば今回のコロナの様な非常時にすぐキャパオーバーになってしまうのです。ゆとりは必要なのです。ベーシックインカムによって企業も人件費に掛かる費用にゆとりができるので、社会全体として今より成熟した環境が期待されます。

将来的には食料生産・医療・介護・インフラなど生きていくベースとなる物は公務員化とJGPである程度廻し、その他の部分では企業活動をやり易い環境作りをしていくのが良いでしょう。法人税と所得税を上げ消費税は廃止。不労所得へ流れるお金の量を減らし、経営者を含めた労働者サイドへの配分を増やす政策が必要です。

「日本とベーシックインカムの相性は良い」私はそう思いますし、デフレ脱却の足掛かりになると思っています。

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