コロナウィルス禍で、世界中が混乱に陥っています。
感染拡大状況の全容が分からない中で、自分ができることは何かと
考えた時、やはり人の集まる場所への参加は極力避けるべき。
結局そこへ落ち着きました。
よく考えれば、なんだかんだ自己を貫きたいだけで、本当に急を要する
ことって僅かなんですね。それに気づいたことは収穫かなと。
通っている殆どの集会が中止になり、思いがけず時間が空きました。
教会も平日集会は中止。礼拝はインターネットでのライブ配信です。
これまで経験したこともないことばかりで、やや戸惑いはありますが、
与えられた時間を有効に使おうと頭を捻っています。やりかけのこと、
先延ばしにしていること、やりたいと思っていたことetc…。
一つずつ着手していこうと考えています。
まず手初めに、編み始めて3シーズン目となる夫のセーター。
今年も無理かと諦めていましたが、まさかまさかの“完成!”です。
残り毛糸の整理ができたし、達成感200%です。次、何をしようかと
知恵を絞るのも、なかなか悪くはないものです。
聖書には、“時”について書かれている箇所が多くあります。
すべてのことには定まった時期があり、
天の下のすべての営みに時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
……
黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦いの時があり、平和の時がある。
……
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
旧約聖書・伝道者の書、3章の冒頭部分(抜き書き)です。
偉大な科学や医学の力をもってしても、“時”を制御できないことを、
私たちは知っています。一刻も早くこの危機的状況が過ぎ去って
ほしいと、どれだけ多くの人が願っても“時”をコントロールすることは
できません。それなら一呼吸おき、では今は何をなすべき時かと、
一人ひとりが冷静になることなのではないでしょうか。つまり、
私の場合、今日の記事の冒頭部分に一戻りし、一件落着となりました。
まだまだ自粛ムードが求められますが、過度に情報に踊らされず、
時を支配される神さまの知恵を祈り求めたいものです。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
そう言える“時”が必ず来ることを信じて…。