シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

あらためて... <あれから9年>

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 東日本大震災から丸9年。十年一昔とも言いますが、震災に遭った

多くの人にとっては、語り尽くせぬ長い歳月だったことでしょう。

 その日私は、東北新幹線の車中、しかもトンネルの中でその瞬間を

迎えました。仙台に住む92歳の義母を訪ねた帰りの出来事でした。

 

 乗客たちが慌てず冷静だったこと、社内アナウンスの語り口も

声のトーンも終始ソフトで、緊迫感を感じさせないものだったからか、

翌12日昼、降車するまでの22時間余りをパニック状態に陥らずに

いられたのは、JR側の対応と配慮に依るところも大きかったと思い

ます。たまたま乗り合わせた方々との連帯感は、そこにいた人だけが

知る不思議な感覚であったように思います。

 

 忘れてしまいたいことも、神さまがくださる忘却という賜物に

よって、いつしか薄れていきます。でも五感で感じたものは体が

覚えています。もはや足の踏み場もなく使用不可となった新幹線の

トイレの惨状。暗く長いトンネルを足早に歩き、ようやく抜け出た時の

陽射しの眩しさ。バスで移動し避難所となった福島県の高校体育館で、

靴を脱ぎ、校舎に一歩を踏み入れた時の氷のような冷たさ…。

忘れようにも、忘れられないことはあるのです。

 

 だるまストーブを囲み情報を待っていると、隣り合わせた男性に声を

かけられました。「同僚3人とタクシーで仙台へ引き返したいのですが、

あと一人乗れます。如何ですか?」と。その日はほぼ避難所での宿泊が

決まっていました。東京方面へ行くバスの手配も未定。渡りに舟と

ばかり、相乗りをお願いし、その日のうちに仙台に引き返せたのは

幸いでした。運転手さんの話では、当日、最後の配車だったそうです。

損壊の激しい道路を迂回しながら、やっと義母の家に着いたのは12日の

夜6時過ぎでした。義母は真っ暗闇の部屋で、ポツネンとうずくまって

いました。食事もしていないというので、避難所でもらったパン、

おにぎりを分け合い食べました。

 

90歳を超えても気丈な義母ではありましたが、引き返して本当に

良かったと思いました。ライフライン、交通手段も閉ざされ、

在宅介護の支援も受けられない母の窮境は想像に難くないからです。

その日から、義母と私の長い窮乏生活が始まりました。戦後生まれの

私は戦時中の食糧難を知りません。これまでも質素な暮らし向きですが、

朝、「さて今日はどうしてお腹を満たそうか」と途方に暮れる経験は

初めてでした。ただ、なぜか不安や、ひもじさといったものは

ありませんでした。

 

「どんな大きな潮流でも、必ず潮の変わり目があります。

 もう限界だと思った、その時こそ神さまの出番です。」

 

以前、礼拝説教で聞いた宣教師の言葉が、心にこだましていたからです。

 

今、世界中を震撼させている新型コロナウィルスの脅威に、多くの

人が不安や恐れを感じています。でも宣教師のことばにあるように、

どんな危機的状況にも、流れが変わる時は訪れます。私たちが積極的に

何かをすることはできなくても、待つこと、希望を持つことを

諦めてはいけないと思うのです。

 

<限界だと思った時から、神さまの出番が始まる。>

 

心が折れそうな時、慰め、励まし、安らぎ、希望を与えてくれる

この力あることばを思い出したいと思います。

 

※写真は故郷、気仙沼の岩井崎。潮吹岩が有名です。