一昨日のひきこもりのシンポジウムのグループ交流会で同じテーブルになった女性の娘さんの話です。娘さんは高校3年生。成績優秀で、生徒会活動に励み、部活でもリーダーとして活躍していた。それがある日突然、電池が切れたように動けなくなって、不登校となった。初めは、よくある「良い子」の息切れかと思いました。でも、お母さんの話を聞いているうちに、僕はそれ以上のものではないかと思い始めました。
とかく学校というところは、何かができると、次はそれ以上のものを求めてくる。そして求められたものをクリアすると、さらにハードルを上げられる。これは際限がないようです。まるで、天まで伸びる樹になれとばかりに。毎日部活で残業を終えたサラリーマンのように遅く帰宅して、それから勉強をして、その合間に生徒会活動もして、さらに休日出勤のように土日も部活に出かける。睡眠時間もろくにとれず、へとへとになっても元気でいることを求められる。まるでブラック企業に酷使されているような生活のようです。
天まで伸びる樹はありません。それを目指したら立ち枯れるだけです。でも、いつの間にかそんな生活からおりることもできず、気が付けば、ある日まったく動けなくなる。たぶん、それは正常な反応なのだと思います。死なずに済むように心が強制シャットダウンする。きっとそれは正常な防衛反応だ。でも、受験をひかえた現実生活ではそれはとても不利なことです。人一倍頑張ったのに皮肉にもみんなと同じラインに立てなくなってしまった。
これは不登校などではない。まるで過酷な過重労働からリタイアしたビジネスパーソンのようです。ブラック企業に潰された息子の友人は2年間も動くことができませんでした。最近ようやく無理なく働けるところを紹介されて、できる範囲で働きはじめたところです。その娘さんと息子の友人が重なって見えます。母親の女性も、娘さんの無理な生活に危険なものを感じていたようです。これから娘をどうフォローしていったらよいのか悩んでいました。立ち直るには、無理を重ねた歳月の長さの時間かそれ以上かかるかもしれません。自分だけが置き去りにされたように感じて苦しむかもしれません。でも、少なくとも命はあります。誰に知られることもなく命を絶った生徒たちはどれくらいいるのでしょうか。
ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。