父の受けた教育 ちょっと「ファイ・ブレイン神のパズル」 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 父はのどかな片田舎で、あのアライグマのラスカルの主人公、スターリング・ノースのように動物たちに囲まれて育ち、小学校を卒業すると、戦時中ということもあり、旧陸軍の少年通信兵学校に入校した。通信任務に携わる下士官、下級将校の養成校だ。陸軍幼年学校、兵学校のようなエリートと違い、おおむね中尉どまりで退役となるようだった。今その学校のことを調べても、断片的なことしかわからない。資料の多くは終戦時に焼却処分されたのだろう。

 父はよくその学校のことを話してくれた。任務で暗号を扱うためだろうか、軍事教練はほとんどなく、もっぱら数学を基礎とした数的推理を叩きこまれたようだ。軍隊の中にありながら、その生活はおおよそ軍隊らしからぬもので、世話人教官の年配の中尉も温厚な父親のようだったという。寮の食事も脳に良いようにと毎日肉料理が出たという。戦時中だというのに毎日が謎々やパズルを解くような生活で、学科以外は比較的自由な生活だったらしい。暗号と向き合うのが卒業後のミッションなのだろう。軍隊という物騒極まりない組織にありながら、どこか浮世離れした印象をうけた。もちろん卒業後には銃を使わない厳しい神経戦が待っているのだろうが。それでも学科はとても面白かったようだ。ちょっとアニメの「ファイ・ブレイン神のパズル」を思わせる。もちろん、あんな奇想天外なものではないが。

 やがて戦争は終わり、学校も閉校となる。父たち学生は無条件で旧制中学に編入学できるという救済措置がとられた。その後父は大企業の社員となり、やがて脱サラして個人事業主となる。いろいろ寄り道したせいで、僕は父が30歳を過ぎて生まれた子供だ。父が通信兵学校にいた期間はごく短いものだったが、その頃のことをよく僕に話してくれた。やがて敵国との騙しあいに使うためとはいえ、随分と面白い勉強のようだった。束の間、「神のパズル」の世界を垣間見たのだろう。

 戦争、軍隊の狭間で、すぐに萎れる花のような学校で、本来あってはならない学校だったが、父にとっては数学とパズルの世界で遊べた懐かしい学び舎だったのだろう。敗戦で学校がなくなってしまうという経験をしたせいだろうか、父はこの世で確かでまちがいのないものはないということを僕に伝えてきたと思う。いつも、その時自分が好きなことをすればいいという感じだった。もっとも銘柄好きの母は父とは正反対で、ひどく権威主義的だった。それでも父の手前露骨に「勉強して、いい学校に入って、いいところに就職して。」とは言わかったが、子供にはそんなことはお見通しだった。

 

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