僕にとっての理想の親子 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 なんとか仕事には出られた。でも抑うつがかなり強い。やはり消耗が激しいせいだろう。我ながらよく動けたものだと思う。で、動いたついでに書いてみた。もはや書きっぱなしみたいな感じでごめんなさい。

ところで、僕なりの親子の理想像を考えてみた。その前に少しカヌーの話をしてみよう。バイダルカ。カヌー制作者でナチュラリストのジョージ・ダイソンがアリューシャン列島の先住民のカヤックをベースに現代に合わせてリメイク、復活させたシーカヤック。僕がかつて乗っていたシーカヤックも多少の構造の違いはあっても、おそらくバイダルカの系譜をひいているだろう。

ジョージ・ダイソンは16歳で家を飛び出し、自然の中で暮らす生活に飛び込んだ。父親は高名な物理学者のフリーマン・ダイソンだ。この親子についてはブログで幾度か書いてきた。僕はこの父子を強く意識していた。僕はこの親子について何を思っていたのだろう。この親子は僕にとって特別だ。

 僕は思う。フリーマンは父親として子育てに見事に成功したのだと。息子のジョージは父フリーマンに背を向けて16歳で旅立った。このジョージの旅立ちこそが父フリーマンの子育ての完成ではなかったか。この時を境に父子は道をたがえ(たぶんその前から)その道が交差することは二度となかった。父子の別れだった。ジョージはナチュラリストとして、フリーマンは科学者としての、それぞれの人生をまっとうしていく。相反する親子。だが、これでいいのだ。フリーマンは、ジョージという果敢に家を飛び出し、自然に向かっていく少年を育てあげたのだ。そしてその後、ふたりは互いを否定することもなく別々の道を歩んだ。

 ジョージとフリーマンを考えると、ダイソン親子は親子であることを超越して、ひとりは紛れもないジョージ・ダイソンとして、ひとりは紛れもないフリーマン・ダイソンとしてそれぞれの道行きを歩んだ。これが僕の親子の理想だ。

 

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