僕という父親を見る息子と娘の視点の違い | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 僕には兄である息子と妹である娘、ふたりの子供がいる。ふたりとも小中学校を不登校した。息子は定時制高校、専門学校、中堅企業正社員を経て、今は福祉作業所の非常勤職員をしながら、精神保健福祉士を目指して通信制大学で学んでいる。息子は「第3の公共」を作るというビジョンを持って生きている。一方、娘はやっとの思いで私立通信制高校を卒業したものの、精神疾患を患い、進学を断念し、今のところ症状は落ち着いてはいるものの、所謂ひきこもりの状態だ。

同じ親から生まれ、同じ家に育ちながら、息子はあがきながらも常に前を向いて歩いて行き、娘は一見穏やかそうに見えながらも、うずくまりがちで、今は立ち止まっている(もちろんそれは見かけ上のことであり、内面を表すものではないだろう)。もちろん僕は理想的な親ではなく、表面上仕事は上手くこなしながら、自分の生き方に迷い続け、心の中には若い頃の夢の残り火をくすぶらせ続けていた。再起を果たしたいと思いながら果たせずにいる落ち武者のようなものだ。おまけに天敵のような肉親とのいさかいで、家は落ち着いていたとは言い難かった。それでも、見えない一歩を常に踏み出していたとは思う。

息子は、どちらかというと父親の僕を頼っていた。いろいろと相談に乗ることが多かった。一方、娘は父である僕を頼れないと思っていたようだ。息子のイメージの中の僕と、娘のイメ―ジの中の僕はまるで違う。息子は這いつくばりながらも、前に進もうとしている僕を見ていて、「俺も頑張る。」と言い、娘は「苦しんでいる父さんを見るのが辛い。」と言う。受け取り方がまるで違う。息子はあがきながら「前を見る僕」を見、娘は僕の「心の痛さ」を見た。どちらも僕なのだが、見る方向が違った。

息子については何も言うことがないし、息子は自分の世界を確立しつつある。それでは、娘とはどう向き合っていったらよいか。特にすることはないし、具体的にできることもない。ただ、「僕の痛み」に傷ついたのなら、痛みの中にすら平穏があることを僕が示すことだろう。娘には、歯を食いしばる僕に息子が心を奮い立たせたようにはいかない。僕がもっともっと自分を生きて、そして、笑うことが必要なのだと思う。それが娘に贈る「手向け」だと思う。もちろんそれは、僕自身が僕のために、そうしたいことでもあるのだ。

 

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