【食べると生きる】「ライオンのおやつ」小川糸(おがわいと)

近頃、というか40代になってから「ちゃんとした本」を読む機会が減ってしまった。本を読まないわけではないけれど、どちらかといえば「実用書」の部類が増えた。「〇〇をするための〇つの方法」「効率的な企画書づくり」みたいな、仕事に直結するような本。それはそれで役には立ってくれたのだけれど、ふと自分の本棚を眺めて余裕がなくなっていることに気づく。

 

昔は、それを知ったからといって何かの役に立つわけではない、純粋な興味から読む本や、その時の自分の状況に似た主人公が登場する小説をよく読んでいた。いつのまにそういう本を読まなくなったんだろう。

 

「ライオンのおやつ」小川糸

ひさしぶりに読んだ本。それが「ライオンのおやつ」だ。

病気になって仕事を休むようになってから、収入が激減して自分の楽しみにお金を使うことがはばかられるようになった。化粧品や美容はもともとプチプラで済ませる方だったが、本や服を買うことはめっきり減った。ごくたまに買う雑誌は「プレジデント」のようなビジネス誌か「カーサブルータス」みたいな雑誌。何気なく手にとった「ライオンのおやつ」は、書店の人気ランキング3位の場所に並んでいた。

 

「おやつ」この響きにわたしは弱い。きっと同じような人も多いだろうと思う。作者の小川糸さんは「食堂かたつむり*1」の作者でもあるのだが、食べ物の描写が絶妙に上手い

 

あらすじ

「ライオンのおやつ」は、瀬戸内のホスピスに入居することになる、海野雫(うみのしずく)という若い女性が主人公の物語だ。実の両親を早くに亡くし、義父に育てられた雫。義父の再婚で関係が微妙になり、10代のうちに家族のもとを離れるが、若くして末期がんとなる。人生の終焉を迎える場所を、縁もゆかりもなかった瀬戸内海のレモン島にあるホスピスライオンの家に決め、誰にも言わずひとり旅立つ。ライオンの家では、毎週末、たったひとりの「思い出のおやつ」のリクエストに応える「おやつの時間」があった・・・・

 

 

思い返すと、私はいつも、物事のすべてを「いい」か「悪い」かで決めてきた。それも、自分にとっての「いい」「悪い」ではなく、相手にとっての「いい」か「悪い」かで判断していた。

引用:株式会社ポプラ社「ライオンのおやつ」小川糸より~

 

「ライオンの家」の名前の理由

「ライオンのおやつ」に登場する、ホスピス「ライオンの家」。風変わりな名前だが、それには理由がある。

 

ライオンは動物界の百獣の王。ライオンはもう、敵に襲われる心配がない。

だから、安心して過ごすことができる。ライオンの家のゲストたちは、みんなライオンだ・・・というのが「ライオンの家」の名前の由来。人生の最後を過ごす場所で、「もう何も恐れることなく過ごして欲しい」という願いを込めた場所なのだ。

 

「食べるは生きること」

食べることは生きる事、って誰かの言葉であった気がする。

20代で摂食障害になってから、「食べる」ということに縁深い生活を送ってきて、食べる、という行為自体を醜いもので汚いと思っていたこともあった。ふつうに食べることが出来るようになった今でも、自分が「美味しい」と感じるもの以外を体に取り入れることには抵抗がある。

 

「せっかく生きてるんだからさ、おいしものを笑顔で食べなきゃ」

引用:株式会社ポプラ社「ライオンのおやつ」小川糸より~

 

この小説では、食べる、という行為が「生」に繋がる神聖なもののように描かれている。まさに「生きることは食べる事」。入院して点滴だけで過ごすと特に、口から入る食べ物の力を強く感じさせられる。

 

けれど「おやつ」は食べなくても生きていけるものだ。なくてもいいものだけれど、だからこそ「おやつ」は人を幸せな気持ちにしてくれる、時を戻してくれる食べ物だ。人生の大半を仕事に費やすことが多い現代では、たぶん「おやつ」は自分らしい時間を取り戻させてくれる食べ物なのだと思う。

 

自分にとっての「思い出のおやつ」。自分にとって大事なものを、あらためて考えさせてくれる小説だった。

 

*1:食堂かたつむり」は、ある日突然声が出なくなった主人公が田舎に帰って一日1組だけの食堂をやる話だ。たくさんの誰かに向けての料理じゃなくて、「たったひとりに向けた料理」を作る食堂の話。「食堂かたつむり」の料理を食べたひとたちは、願いが叶うと言われるようになる。