じゅんすい
じゅんすい。
人の大部分は水分がしめているという。
じゅんすい。
じゅんすいな人間。
時に清らかな、とか清らかで、とかつけられる、そうされやすい表現。
じゅんすい。
じゅんすい?
じゅんすいな人、は純水な人、だった……?(誤字
人間は大部分が水分、じゅんすい、字が違うがそれはもしやカムフラージュだったのでは……?思考が濁っているものの発言
一般的に人は人生という道程を歩むうえで、様々な経験をし、時にそれを糧として、しかしそれを不純物としても己のうちに取り込んでいくのだ。
それを誰かは成長といい、進歩と呼ぶこともある。
じゅんすいとは混じりっけがないことをいう。
邪念がないこともいう。
混じりっけがなければ邪念が生まれないとしたら、邪念は電気的な性質を持っているのでは……?純水に頭を占領されたものの発想
純水になればなるほどに電気は通りにくくなるのだ。
じゅんすいがじゅんすいであるなら、混じりっけとはすなわち電気を通してしまうものということであり、邪念が電気ならそれは電解質めいたものだということになるのでは。
何かが混じってしまえばそれは純水とは呼べなくなってしまう。
保管方法を間違えばまた同じように。
しかし、電気が通るようになるという事は悪い事ばかりではない。
電気が必ずしも人に悪影響ばかり及ぼすことはないし、じゅんすいでない水が役に立たないということはないのだ。
どちらかが無くなればいいという話ではなく、どちらが劣っているという話でもない。
おのおのいいところ、悪いところがあるから、じゅんすいだから、そうでないから、それだけでものごとの価値は決められないという事なんですよ。
じゅんすいなのは確かに混じりけが多いものの方が多い中で特別な価値なのは事実なのかもしれない。しかし、だからそれイコール混じりけがあるものが貶められていいという訳ではないという事なんですよ。
何事もそうだけど、一個尊いといわれるような行為をしたらそれ以外を貶めるような人がいるがそれは違うという事なんですよ!
皆違ってみんないいんですよ! 悪いのもいるけど
ね!(なんか主張する風の何も主張できてない勢いだけの定番の終わり方
そういうことにしとこうや。
茶を濁す終わり。