溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

焼きナスが好きな時代が確かに俺にもあったはずなのだ、あれは幻だったのだろうか

 

食に関して、苦手なものが多い人間だ。

ナスが苦手だ。

小さい頃は食べれたのにいつの間にか苦手になったのだ。

食感も味もダメという。

 

もしかして……俺、入れ替わってる!?

っていいたくなるくらい小さいころとは味覚が違うのだ。

大人になると小さいころダメなものも平気になるというが、逆パターンである。

 

なんかいろいろと〇〇嫌い星人とかから次々浸食されているのではないか。

俺入れ替わってる! どころじゃなく、俺の中身は星人でぎゅうぎゅうなのか。

なんだ。星人は「入ってますか?」の確認もできないというのか。トイレはノックしろよ。いきなり開けるんじゃない。というかいきなり開けても入ってるとわかった時点で入ろうとするんじゃあない。

 

誰がトイレだこの野郎。

 

しかしナスが苦手とはいえ、赤茄子は加工されれば食えるのだ。生はダメなのだ。なんかダメなのだ。トラウマかもしれない。

 

トマトを赤茄子と名付けた奴はどの辺に共通点を見たのだ。

これは赤い茄子だ……!

どうやるん。その感覚どうやるん。

 

もう赤い茄子でよくない? どことなく茄子っぽいやん。じゃあもう赤茄子でよくない?

これならなんとなくわかるが。

 

赤茄子はいいのだ。星人の話もいい。星人の話ってなんだよ。

 

ナスだ。

我々は知らぬ間にナスに浸食されている。

ナスに危機感を覚えよ。

ナス。

ナス?

為せば成る為さねばならぬ

ナスがなる、為さねばならぬ……そういうことよ。

ナスっぽいやろ。無理やりか。無理やりすぎるか。

じゃあ

 

ナス科の地上絵……!!!!!!

 

うん。

寒いこと言ってごめんな。

頭やられとんねや。

頭痛とまらナス。