溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

それが他人に累を及ぼしさえしなければ

 

断捨離という言葉が一般的に広がってどれくらいたつだろうか。

 

ただものを整理することを断捨離といわれているように思えてなんかクエスチョンマーク踊りまくるのである。そう、インド。

じゃあ整理整頓で良くない?

ってなる。ならない?

 

断捨離! 断捨離! ダン&シャーリー!

 

捨てる! 滅ぼす! 別れるサダメ!

 

いや違うくない?

『いらないもの』を捨て去ることで執着をたち、快適な生活を手に入れるんだ! みたいな思想のことらしいんだが。

 

のわりになんか断捨離しよう! っていう人の割合の中でたまに

 

兎に角捨てる!

家族のも捨てる!

 

っての見るんだよ。それは断捨離でいいのか?

家族のも捨てるは逆に者に対しての執着強い……強くない?

 

あとそれやったあとの生活って本当に快適か……? 快適に近づいていると本当に言っているか……?

 

家族関係も0になって快適になる発想なのかもしれないけど、全て捨て去るわけでもない。お前はラーフラだ! とまではしないということ。

それは快適といっていいのだろうか……

 

執着を捨てる、なんてことはモノを捨てるだけで達成できるほど簡単なことではないはずなんだが。

他人のものが気になっている時点でそれを捨てようが、それは他人があらたに手に入れたものが気になる執着を帯びているのだと言えまいか?

 

ちょっと意味が分からなくなる。

 

気に入らないから無断で捨ててやりましたよ!

 

っていうのをなんかオブラートに包んだだけなのでは、と首を捻るわけで。

多分断捨離って言い始めた人は少し調べただけでもそんな想定してないよねって。

 

多分、ヨガとかの流れ組んでるんなら大事なのは執着を脱ぎ捨てて柵から解放される的なことなんじゃないの? 知らんけど。

ものを捨てるってのは過程であって、目指すべき結果ではないような気がするんだけど。

 

断捨離!

って言ってる人をみるとちらほらと物を捨てること自体が目的になっててそれであってるのか? 断捨離。それものを捨てることの執着がある状態といえまいか? とか、じゃあやっぱりただ気に入らないから捨てたいだけじゃんとか、それ大義名分になってませんよねどやっていってる人いるけど、とか、そも執着から解放されていればわざわざ『断捨離しました』とはいわんのではないか? とか、そんな俺の考え方が間違ってるのか……まぁ……いいか……こっちに被害なけりゃ……とかってなったりする

なんか違和感あるんだけど結局なぁなぁになって調べたりするのも中途半端になりがちな話。

 オチは断捨離しました(誤用)