阿弥陀仏の本願によって完成した南無阿弥陀仏の念仏は、お釈迦様によって人々へと伝えられました。
その教えは、多くの高僧によって様々な解説が加えられ、その時代に合った形へと変化していきました。
その中でも、親鸞聖人が特に尊敬していた高僧方を、七高僧と呼びます。
その高僧方とは、時代順に、龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、法然上人の七人です。
阿弥陀仏の本願という救いのリレーは、お釈迦様から龍樹菩薩へと繋がっていくのです。
そのことを親鸞聖人は、こう解説しています。
【原文】
釈迦如来楞伽山
為衆告命南天竺
龍樹大士出於世
悉能摧破有無見
宣説大乗無上法
証歓喜地生安楽
(正信偈:49~54行目)
【意訳】
お釈迦様は楞伽山という場所で、「やがて南インドに龍樹という僧が現れて、人々の誤った考えを正し、大乗仏教を説くだろう。そうして龍樹自身も、大乗仏教によって信心が定まり、極楽浄土へ往生するだろう」と予告しました。
大乗とは、大きな乗り物という意味です。
龍樹菩薩も親鸞聖人も、この乗り物のことを「大きな船」にたとえています。
阿弥陀仏の本願という大きな船は、どれだけ多くの人を乗せても、決して満席になることがない。全ての人が等しく救われる。それほどに大きな乗り物だから、大乗と呼ぶのです。
その基礎を築いた龍樹菩薩とは、どのような人物なのでしょうか。
【要訳】
バラモン(当時のインドの支配階級)の家に生まれた龍樹菩薩は、人並み外れた才能を持っていました。それは、バラモンとしての学問を、全て習得してしまうほどでした。
若くして名声を得た龍樹菩薩は、その才能を持て余していました。いつしか、友人三人と共に王宮へ入り込み、王の愛人達と交わるようになるのです。
このことは、やがて王の耳にも届きます。
怒り狂った王は、王宮の隅々に兵士を忍ばせて、入り込んできた不届き者を捕らえさせます。
間一髪、物陰に隠れることができた龍樹菩薩を除き、友人三人は兵士に捕まってしまいます。そして、その場で処刑されてしまうのです。
その一部始終を目の当たりにした龍樹菩薩は、人の命の儚さと自らの行いの愚かさを思い知ります。
この出来事をきっかけに、龍樹菩薩は出家します。
その後、広く仏教を学んだ龍樹菩薩は、どんなに愚かな者でも救われる大乗の教えに辿り着きます。
そして、その教えを人々にも伝え、大乗仏教の基礎を築くのです。
(注:龍樹菩薩の生涯については諸説あります)。
お釈迦様とは異なり、龍樹菩薩は聖者としての生涯を歩んだ人ではありません。
程度の差こそあれ、自分の容姿や家柄や才能に自惚れて過ちを犯した経験が、誰でも一度くらいはあるでしょう。
大きな過ちを犯し、人の愚かさを実体験した龍樹菩薩だからこそ、大乗仏教の基礎を築くことができたのかもしれません。