福島県郡山市・如宝寺石造笠塔婆、板石塔婆を訪ねる   仕事の傍らに… | 名宝を訪ねる ~日本の宝 『文化財』~

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先日、仕事の都合で福島県郡山市に行きました。

 

仕事が早く終わって時間ができたので、JR郡山駅から比較的近かった文化財を訪ねました。

それが如宝寺 石造笠塔婆・板石塔婆です。

 

石造物は時代ごとの特徴がハッキリと表れるので、見ていておもしろいので大好きなんです。・・・たいてい墓石なんですけどね。

 

車で行ったので距離感はよくわかりません。郡山駅西口から歩くと20分ぐらいでしょうか、大きなお寺があります。

こちらが真言宗 高嶽山 如宝寺です。

 

高嶽山 如宝寺

 

境内はかなり広いです。歴史ある寺院らしく、古い寺宝がたくさんあります。

 

件の石造物は境内にあるコンクリート造りの「国宝堂」に並んで建てられていました。

 

 

まずは石造笠塔婆から。

 

石造笠塔婆

 

かなり大きな笠塔婆です。

龕に仏像が浮彫りされているのが印象的です。

凝灰岩製で、柔らかい石材なので破損や風化が激しいのが残念です。

だからなおさら、よく今まで保存されたものだと感心します。

現在は鉄筋コンクリートの建物内に保存されますが、これ以上の劣化を防ぐためでしょう。

ただ、前面はガラス張りでいつでも見学できるようになっているので、私のような趣味の人間にはありがたいです。

 

 

笠塔婆のような石造物は、時代の特徴が出やすいのが屋蓋(笠)ですね。

 

石造笠塔婆 屋蓋

 

笠の軒端は厚く、角は滑らかな曲線を描いて下り降り、先端で撥ねるように反っています。

この曲線と撥ねの具合が、見事にマッチしているのが平安時代から鎌倉時代の石造物なんです。

鎌倉時代の五輪塔なども見ていてウットリします。墓石がほとんどですが。

 

石造笠塔婆 龕

 

そしてこの龕に掘られた半肉彫りの仏像。阿弥陀如来だそうです。

これも彫刻として出来がいいですよね。

 

石造笠塔婆 下部

 

写真でははっきり見えませんが、ここに銘があり、「承元二(1208)年」と造立の主旨が刻まれています。

そして台石には角穴があります。木製の柱があったのではないかとのことです。

笠の下部にも角穴があるので、笠を支えるように2本の柱を立てていたんでしょう。

 

そして角度的に見えませんが、右側面に梵字一字と造立主旨の銘文、背後には梵字で胎蔵界曼荼羅が描かれているそうです。

 

 

一番気になったのは、解説に「この塔の構造は、餓鬼草子に見られる笠塔婆の系統に属し、この形式での追善供養塔としてはわが国最初のもの」であるとあったので、

 

「餓鬼草子の笠塔婆ってどんなの?」

 

と思った点です。『餓鬼草子』は東京国立博物館(東博)で所蔵していて、前に東博で撮影した記憶があったのです。

 

帰ってきて探したら、ありました。ちょうどその場面の写真が。

 

それがこちらです。

 

餓鬼草子(旧河本家本 東京国立博物館)の笠塔婆の絵(赤丸の中)

 

こちらは平安時代末の成立とされていますから、時期的には近いです。

屋根は宝珠を乗せた宝形造、龕の部分は厨子になっています。

うーん、似てはいますが同じ形、ではないんですね。前面に柱があったわけだし、踏襲しているといえるのかな?

 

でも、この石造笠塔婆の造形はきれいです。時代が古いものは作り方が丁寧で、とても美しいと感じます。

こういう傾向はどの建造物や彫刻にもありますね。

 

分かりやすいところでは、古墳に建てられていたとされる円筒埴輪。

 

円筒埴輪の原型は吉備地方で作られていた「特殊器台型土器」とされています。

これが大和地方で採用されて円筒埴輪になっていき、特殊器台型土器にあった直弧文が簡略化されて円筒埴輪の横に開けられている穴になったと考えられています。

 

特殊器台型土器の本物を見たことはありませんが、ぜひ一度、岡山まで見に行きたいです。

 

 

話は変わって、続いては隣に立っている板石塔婆へ。

 

板石塔婆

 

一見しただけではなぜ指定されたのかわかりませんでした。このような形式の板石塔婆は、この地方では当たり前ですから。

 

しかしよく見ると、変わった図像が描かれていることがわかりました。凝灰岩製のため、風化が進んで表面が荒れ、判別が難しいです。

 

板石塔婆 上部

 

辛うじてうっすらと何かが描かれているのがわかると思いますが、これが方円で三重の区画に分けられ梵字で描かれた阿弥陀曼荼羅なんだそうです。

これが指定理由なのでしょう。

曼荼羅を描いているところが、これを所蔵する寺院が真言宗に属していることと関係するのかな?と思いました。

 

板石塔婆 下部

 

曼荼羅の右側に「建治二(1276)年」とあり、造立年代がわかります。

下部には造立主旨の銘文が刻まれています。

 

 

他にも、この建物内には別の板石塔婆銅鐘が置かれていました。

 

これはその板石塔婆です。

 

板石塔婆(釜堂の碑)

 

いわゆる画像板碑ですが、画像が半肉彫りにされているところが見事です。

この仏像は阿弥陀三尊と地蔵菩薩、閻魔王、邪鬼だそうです。

上半分が全く失われているのはとても残念です。それでも、郡山市指定文化財です。

出来がいいのがわかりますもんね。

 

そしてこちらが銅鐘です。

 

如宝寺 銅鐘(龍頭が正面に見える方向から)

 

この銅鐘は、本来たくさん突起がついている、いわゆる「乳の間」の部分に梵字が陽鋳されているのが珍しいです。

イボのあるはずの所にイボがないので、「イボナシの鐘」と呼ばれています。

国の文化財の銅鐘としては時代が比較的新しく、江戸時代の鋳造になります。

 

如宝寺 銅鐘(撞座の方向から)

 

この時代の銅鐘はスタイルが筒のようにストンとしていて、面白みがないので私はあまり好きではありません。半鐘などはこんなスタイルです。

 

まあ、こちらの銅鐘はデザインが奇抜で確かに見ていておもしろいですが。

 

 

如宝寺は特に全国的に有名なわけではなく、観光地でもありませんが、拝観した文化財はいずれも珍しい意匠や造形で見ていて飽きませんでした。

おもしろいものを見ることができて、満悦して帰途につきました。

 

 

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如宝寺 石造笠塔婆昭和11年5月・国指定重要文化財 福島県郡山市堂前町4

塔身の高さ68cm、幅59cm、厚さ30cm、凝灰岩製の石造卒塔婆です。塔身上部の龕には半跏趺座の阿弥陀如来が半肉に彫られ、その下側には3行の銘があります。銘文の中央には「承元二年 大才戊辰 八月十一日」、左右には「右志者為慈父也」、「施主華慶造立」と書かれ、造立年代が承元2(1208)年とわかります。塔身上部には宝形の屋根と宝珠が、下部には角穴が彫られた2重の台石があります。宝珠の下には露盤があったはずですが今はありません。また、背面には梵字で胎蔵界曼荼羅が、側面には梵字と「一持秘密呪 生々而加護 千万及讃花 微少捨護仏」と銘があります。この種字曼荼羅は石に彫ったものとしては最古に属します。

 「この塔の構造は、餓鬼草子に見られる笠塔婆の系統に属し、この形式での追善供養塔としては我が国最初のもの」とされていますが、私はちょっと疑問に思ってます。

 

如宝寺 板石塔婆昭和11年5月・国指定重要文化財

刀身の高さは159cm、幅68cm、厚さ21cmの塔婆で、上部は屋根状に三角形に造り、その下に2本の線が、さらにその下に額が造ってあります。この部分と下部は碑面に対して大きく張り出しています。関東に住んでいる私は、いわゆる秩父青石で作られた「板碑」を見ることが多いですが、形が違うだけでこれらは同じ目的で作られたものです。碑面上部には四角と丸の3重の輪郭を彫り、17文字の梵字で阿弥陀曼荼羅が描かれています。その左右には造立年代「建治二年丙子」「三月六日」と刻まれ、造立は建治2(1276)年とわかります。下部には「夫以卒塔婆者三 世諸仏内証切 徳得道群類口 抜苦指南幽礼 離三悪造立生 九品仍当悲母 三七日所立如件 孝子 敬白」と願文が刻まれています。

この意匠と保存の良さが、文化財指定を受けている理由と思われます。

 

如宝寺 板石塔婆(釜堂の碑)昭和33年5月・郡山市指定重要文化財

この板碑は表面に阿弥陀三尊や地蔵菩薩など7体の仏像を半肉彫りに浮き彫りし、阿弥陀如来の下品下生の地獄相と極楽相を表しています。絵巻物や図絵曼荼羅に多く見られる図ですが、石造物に彫刻されているのは珍しいものです。上部が大きく欠損していますが、ここに「建保七年己卯天二月日」と刻まれていたといわれているそうです。そうすると造立年代は1219年ということになります。二本松藩領内の史料を収集した『松藩捜古』によれば、この碑は「御釜堂」と呼ばれた堂内に安置され、ニワトリ石と呼ばれていたそうです。子供が百日咳にかかった時、削って飲むと治るという俗信があったそうです。

 

如宝寺 銅鐘昭和18年10月・国認定重要美術品

「寛延四年五月十七日」の鋳造年月日名を持つため、寛延4(1751)年に鋳造されたことがわかります。口径は83.5cm、高さ112cmで、乳の間に梵字が陽鋳されていることから“イボナシの鐘”と呼ばれています。四方の撞座の上にも梵字があり、これは金剛界四仏を表しています。また池の間には檀家や世話人、鐘の鋳造に関する銘文が刻まれています。

 

※解説の文章は現地の解説板の内容を参考にしています。

 

 

 

 

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